Loading AI tools
日本の小説 ウィキペディアから
『新選組始末記』(しんせんぐみしまつき)は、子母澤寛の小説。新選組を題材にした作品で、関係者への取材などを取りまとめられていることから、新選組に関する代表的な資料とも捉えられており、その後の幕末を題材にした創作作品に影響を与えた。
なお本項では、本作の映像作品についても併せて記述する。
彰義隊隊士で箱館戦争にも従軍した祖父を持つ子母澤は、読売新聞記者時代に社会面の続き物の記事で近藤勇を取り上げることになり、いろいろ調べているうちに、実像の近藤勇に興味を持ち、研究を始めたという。1923年(大正12年)頃から幕末史の権威・尾佐竹猛、井野辺茂雄、藤井甚太郎らを訪ねて、新選組について根掘り葉掘り訊き出すようになり、昭和に入ってからはしきりに京都通いして取材した。
1926年(大正15年)、東京日日新聞(現毎日新聞)社に移り、1928年(昭和3年)『新選組始末記』を万里閣書房から処女出版した。その後、1929年(昭和4年)に『新選組遺聞』、1931年(昭和6年)に『新選組物語』をそれぞれ発表、それらを含めて1969年(昭和44年)に角川文庫から『新選組始末記』が出版された。つまり、角川文庫版『新選組始末記』にはオリジナルの『新選組始末記』の他に『新選組遺聞』『新選組物語』が含まれ、著者自身によって幾分改訂されている。これらは、中公文庫では「新選組三部作」として3冊別に出版されている。
本作は、娯楽的な時代小説というよりも、随筆・記録・史談ともつかないものであり、また子母澤自ら取材して集めた幕末の一級資料と捉えられている。ただし、子母澤が自ら後書きで「生き残りの老人のはなしは、疑わしいものもあったが、私は『歴史』というのではなく現実的な話そのもののおもしろさをなるべく聞きもらすまいと心がけた」と述べているように、学術的な意味での史実とは言い難い。また、司馬遼太郎は1967年(昭和42年)に最晩年の子母澤と対談し、その対談「幕末よもやま」によれば、司馬は20歳くらいの時に『新選組始末記』を読んで、どうしてもこれは超えられないと思い、子母澤に会いに行って教えを請うたという。
子母澤が独自に取材した話としては、新選組の屯所として使われた八木家の息子・為三郎から話を聞いた「八木為三郎老人壬生ばなし」、新選組隊士の最後の生き残りだった「稗田利八翁思出話」、などがある。
今作は当初、藤巻潤の主演、モノクロ作が予定されていたが[1]、脚本を読んだ市川雷蔵が出演を希望したため、格上げされ、正月映画として公開に間に合わせるため、急ピッチで製作された[1]。
1961年10月17日から1962年12月25日までTBS系列で放送。八欧電機(後の株式会社ゼネラル、現 - 富士通ゼネラル)の一社提供。放送時間は毎週火曜21:30 - 22:00(JST)。
なお主演の中村竹弥は、次作『鞍馬天狗』(引き続き八欧電機提供)にも主演する。また語り役の芥川隆行と演出家の山本和夫は、後述の1977年版も担当する。
「新選組の歌」
1977年4月7日から同年9月29日まで放送。全26回。放送時間は毎週木曜22:00 - 22:55。
7年間続いた『木下恵介・人間の歌シリーズ』に代わって放送した作品で、前作と同じTBS系列で放送されたが、腸捻転解消により近畿広域圏のネットが朝日放送から毎日放送に代わっている。VTR作品。
「新選組の歌」
TBS系 木曜22時枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
新選組始末記
(1977年版) |
おせん
|
2022年11月11日から20日にヒューリックホール東京にて上演された[3]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.