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日本の雑誌 ウィキペディアから
『新現実』(しんげんじつ)は大塚英志が責任編集を務める文芸誌・批評誌。キャッチコピーは「見えない戦時下の批評誌」(5号)。2002年7月に創刊され、不定期に5号まで刊行。以後も2008年まで断続的に刊行された。
2002年7月に、大塚英志と東浩紀の2人が編集する文芸誌・批評誌として創刊された。誌名は東浩紀の考案による[1]。大塚英志は創刊号の巻末でこの雑誌の創刊の目的として、雑誌の創刊が困難ではないことを実例として示すこと、および若い世代の書き手に機会を与える媒体を作ること、という2つを挙げている。そのことば通り、創刊号では当時アニメーション「ほしのこえ」によって一部で知名度を上げつつあった新海誠が漫画に初挑戦し、講談社ノベルスから新刊を出すことができなくなった佐藤友哉に小説を発表する場を与えている。また、第1回文学フリマの告知も掲載されている。
2号刊行直前は、イラクに対してアメリカが戦争を仕掛けるかどうかといった瀬戸際の時期にあり、『新現実』も2号以降「戦時下」という言葉を強く意識した雑誌作りになっていく。2号の特集は「天皇制への立場」、3号の特集は「いかに戦時下に語るか」である。
創刊時点では佐藤友哉や東浩紀の件も含め、大塚も創刊に関与していた『ファウスト』(講談社)との繋がりが深く、2号では企画書段階で、短編小説の執筆者としてビジュアルノベルのシナリオライターである奈須きのこ、元長柾木、涼元悠一、若手作家の乙一、滝本竜彦、舞城王太郎の名があったが[2]、これらの企画は実現しなかった。
2号巻末では、3号の特集「新しい現実に立ち向かう小説(仮)」が予告され、元長柾木と原田宇陀児の小説の掲載が予告されたが、この特集も実現せず、3号には2人のうち元長柾木の小説のみ掲載された。企画内容とタイミングが『ファウスト』Vol.3(2004年7月刊行)の「新伝綺」特集と重複・競合しており、企画ごとスライドした可能性が高い。また、2004年以降、講談社での大塚英志の刊行物はしばらく途絶えている。
『ファウスト』が売れたことで、若い世代の書き手の執筆場所が確保され、創刊時の文芸誌としての目的が失われたことから、当初予定していた3号までの刊行を2004年4月に終える。刊行元は角川書店であるが、少なくとも第一期では、原稿料は大塚英志の自前でまかなわれていた[3]。
なお、東浩紀は2号から編集を外れ、競合する『ファウスト』への関与を強めた反面、大塚は『ファウスト』創刊号で舞城王太郎を批判した批評文を編集長の太田克史に掲載拒否され、絶縁状態となっていた。しかし、2010年に太田が星海社を設立した頃には和解している。
2004年9月から、第二期として隔月刊で1年間『Comic新現実』が刊行された。『ファウスト』と重複していた小説系の企画は激減。代わりに過去の名作漫画を研究・回顧するような企画記事や、ササキバラ・ゴウや更科修一郎によるアニメ評論やインタビュー記事の比重が上がり、関連して「Comic新現実アーカイブス」として復刻漫画が数冊刊行された。また、2005年にはラジオ関西で「改め!ラジオ新現実」、「それでもラジオ新現実」が放送された。
2007年4月からは第三期として、発行元を太田出版に変更。『新現実』が4号から不定期に刊行されていたが、2008年1月のVol.5以降、刊行を停止している。漫画やアニメ関連の企画も激減し、政治思想系の企画比重が高くなっていた。
表紙に書かれたキャッチコピーは以下のように変遷している。
第一期
第二期
第三期
1号と2号に募集要項が掲載され、小説・批評・コミックを募集した。3号では新規の募集要項はなく、選考結果は投稿者各自に通知するとされた。
第三期『新現実』でも小説・批評・研究を募集しているが、「賞」という形はとっていない。
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