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新津 勝資(にいつ かつすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。越後国新津城主。新津氏15代当主。上杉二十五将の一人。
新津氏は、金津氏の支流で、清和源氏平賀氏流の名門。『新津系図』では勝資は山吉政久の三男としているが、七男という説もある。何れにしろ、勝資は山吉氏の出身で、新津氏の養子となって家督を継いだものと思われる[1]。
永禄4年(1561年)の第四次川中島の戦いでは本庄繁長や黒川清実ら揚北衆とともに遊軍として参陣している[1]。
天正6年(1578年)に勃発した御館の乱における動向は不明だが、後述の活躍などから勝資は上杉景勝に属していたものと思われる[2]。
天正10年(1582年)、織田信長による甲州征伐が始まると、勝資は竹俣房綱・水原満家・松本房景ら蒲原郡の諸将とともに援軍として信濃に派遣され、武田勝頼が天目山で自害した後も越後へ侵攻しようとする織田軍と交戦している[2]。
天正14年(1586年)の新発田重家の乱では千坂景親とともに先陣を務め、翌天正15年(1587年)には景親とともに木場城を守備した[1]。
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