斎藤樹
日本の内務官僚 ウィキペディアから
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斎藤 樹(さいとう いつき、1888年(明治21年)6月26日 - 1951年(昭和26年)6月2日)は、日本の内務官僚。警視総監、台湾総督府総務長官等歴任。貴族院議員
斎藤宗吉の長男として長崎県に生まれ、斎藤倉吉の養子となる。本籍は千葉県。
旧制千葉中学を経て、1912年7月、第一高等学校を卒業。同年8月、千葉県大多喜中学教諭に就任するが、1914年(大正3年)8月に休職。同年9月、東京帝国大学法科大学に入学し、在学中の1916年(大正5年)10月に文官高等試験に合格。
1917年(大正6年)7月、東京帝大法科大学法律学科(英法)を優等で卒業し銀時計を授与された。任書記官兼警察講習所教授。1930年(昭和5年)内務事務官地方局勤務、社会局書記官保険部監査課長、奈良、富山、埼玉、静岡各県知事歴任。
1937年(昭和12年)6月、警視総監に就任。1945年(昭和20年)2月24日、貴族院議員に勅選され[1]、1946年(昭和21年)4月1日に辞職した[2]。
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