掲子内親王
文徳天皇の七女。陽成朝の伊勢斎宮。無品 ウィキペディアから
掲子内親王(ながこないしんのう)は、文徳天皇の第七皇女。陽成天皇朝の伊勢斎宮。清和天皇らの異母妹[1]。名は揚子あるいは楊子とも表記する。無品。
元慶6年(882年)4月7日、清和上皇の崩御により退下した識子内親王(清和天皇皇女)と交替して斎宮に卜定される。同7年(883年)8月24日、野宮に入るが、同8年(884年)陽成天皇の退位により群行せず野宮から退下。延喜14年(914年)2月23日に没する。
脚注
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