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平安時代前期の女官。清和天皇の女御(歴代天皇で最後の兄弟姉妹婚)。従四位上。外祖母は多治氏 ウィキペディアから
源 済子(みなもと の さいし/すみこ/なりこ、生没年不詳)は、平安時代前期の女官。文徳天皇の皇女で、清和天皇の女御。
仁寿3年(853年)6月11日、能有ら兄弟姉妹七人とともに源朝臣姓を賜り臣籍降下[1]。貞観9年(867年)8月29日、異母兄・清和天皇の女御となるが子女はなかった[2]。貞観10年(868年)正月8日に無位から従四位下に叙位され、元慶3年(879年)3月7日に他の清和天皇の女御十人とともに宮廷を退いている[3]。仁和2年(886年)に外祖母(多治氏)の追贈を修し、また父母の追善に菩薩像を描いた。その時に菅原道真によって作られた願文が『菅家文草』に残っている。
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