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『房総叢書』(ぼうそうそうしょ)とは、千葉県(房総)関連の古文書・記録などを集成した叢書。同題で内容の異なる叢書が1910年代と1940年代の2度にわたり編纂されているが、一般には後者の『紀元二千六百年記念房総叢書』を指す[1]。
1911年(明治44年)、長生郡鶴枝村(現・茂原市)の高橋徽一(号は鳴鶴)[2]を会長とし、長生郡豊栄村(現・長南町)出身の歴史学者・大森金五郎を顧問とする「房総叢書刊行会」が設立された。編纂の中心となったのは高橋と、大成館(千葉県立長生高等学校の前身)博物科講師の林寿祐(天然、1876年 - 1959年)、および鶴枝小学校長の鴇田恵吉(東皐、1881年 - 1966年)であった[3][4]。同会では全3輯の予定で編纂を進め、1912年(大正元年)に第1輯、1914年(大正3年)に第2輯を刊行した。だが、1916年(大正5年)に発行予定だった第3輯は、第一次世界大戦による物価高騰のため予定頒価での発行が不可能となり、物価下落による刊行の機会を待っている間に、1923年(大正12年)3月4日、高橋家の火災により原稿が焼失し、発行不能となった[4]。その後、房総史談会の高野松次郎(県立千葉高等女学校長)らが続巻編纂の計画を立てたものの、再開には漕ぎ着けられなかった。
1940年、皇紀2600年の記念事業として、御成婚記念千葉県図書館(現・千葉県立中央図書館)長廿日出逸暁を中心に、改めて房総叢書の編纂が計画され、同年より「紀元二千六百年記念房総叢書刊行会」より刊行された。戦時中ではあったものの、千葉県当局の積極的な支援を受けて刊行事業が進められ、古代から1887年までの古文書・諸文献より230種目(ただし、77種目は解説のみ)を採録して、1944年に全10巻・別巻1巻を完成させた。史料の選択などに問題点が残されたものの、紙などの物資の配給制が取られ、空襲などの危険性もあった当時の状況下で順調に刊行を完了させた背景には千葉県や関係者の熱意によるところが大きいと言える。
戦後、千葉県立中央図書館創立35周年記念事業[5]として、「改訂房総叢書刊行会」が結成されて改訂事業が行われ、1959年に各2巻を1冊にまとめて全5輯形式に改め、別巻に「房総通史」を加えて、『改訂房総叢書』全5輯・別巻1冊として刊行された。その後、1972年5月に「千葉市郷土資料刊行会」名義で複製版が刊行されている。
なお『房総通史』は、『紀元二千六百年記念房総叢書』とは別に千葉県教育会が企画し、1939年(昭和14年)より大野太平を編纂主任として編纂が始められたものである。ところが、原稿はほぼ完成したものの、大野が1944年3月に病死し、それに戦況の悪化などの事情が加わり、原稿が一時所在不明となった。その後に林寿祐が千葉県教育会館に所蔵されていた原稿を発見し、廿日出逸暁の尽力で、『改訂房総叢書』の別巻として公刊されることになった[6]。
当時の編纂事情などから十分とは言えないまでも、千葉県及び下総・上総・安房の3令制国の歴史を研究する上では、基本的な文献として用いられている。
題名と解説のみが掲載された書籍については省略。
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