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北海道の廃駅 ウィキペディアから
我路駅(がろえき)は、かつて北海道美唄市我路(現・美唄市我路町2条)に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の駅(廃駅)である。
1972年(昭和47年)5月31日まで運行していた三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の鉄道駅であり、美唄駅から5番目の駅であった。美唄市の我路地区に位置し、当鉄道が運用されていた頃は我路地区住民の最寄の駅となっており、駅舎も設置されていた[1]。
当鉄道が敷かれる前からこの地区には炭鉱に従事する人々が集まって小市街を形成しはじめていた。このため鉄道が敷かれた当初より駅が置かれたが、これによりさらに人々が集まり、はじめはバラック作りではあったが、この市街の急速な発展は当時の人々を驚かせるほどであった。また、我路という地名は初代炭鉱長が付けたとされ、それが駅名になった。
廃止後は、駅舎は保存されず、1973年(昭和48年)にこの地域に最後まで残っていた北菱産業の我路炭鉱の閉山もあり、主力炭鉱閉山の相次いだ1960年代以降も残っていた周辺地域の住民の多くがこの地を離れた[2]。
駅舎は美唄炭山に向かって左側(北側)にあり、単式ホーム1面1線を有した。1962年(昭和37年)時点で既に側線は無く、以降も廃線まで無かったが[3]、1924年(大正13年)の市街図には美唄炭山側の北側に、市街路と道で繋がる小さな貨物積卸場や隣接する倉庫と共に美唄炭山側から分岐してホーム端までの側線が描かれている[4]。その一方、常盤台まで延伸する前の状況と思われる図には、駅舎は無くホームが南側に描かれたもの[5]があるが、事実関係は不明。
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