餘慶寺
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餘慶寺(よけいじ)は、岡山県瀬戸内市邑久町北島にある寺。宗派は天台宗。山号は上寺山(うえてらさん)。地元では山号の上寺山や上寺と呼ばれることが多い[1]。本尊は千手観世音菩薩で秘仏。33年に1度開帳される(直近では2012年〈平成24年〉11月開帳)。中国三十三観音霊場第二番札所、山陽花の寺二十四か寺第十六番、百八観音霊場第三番。
餘慶寺 | |
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所在地 | 岡山県瀬戸内市邑久町北島1187 |
位置 | 北緯34度39分15.9秒 東経134度3分41.0秒 |
山号 | 上寺山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 千手観世音菩薩 |
創建年 | 伝・天平勝宝元年(749年) |
開基 | 伝・報恩大師 |
正式名 | 上寺山餘慶寺 |
別称 | 上寺山、上寺 |
札所等 |
中国三十三観音霊場2番<br /山陽花の寺二十四か寺16番 百八観音3番 |
文化財 |
本堂、木造薬師如来坐像、木造聖観音立像(重要文化財) 三重塔、鐘楼、十一面観音像(県重文) 薬師堂、鐘楼、毘沙門天立像(市重文) |
公式サイト | 餘慶寺 |
法人番号 | 3260005007887 |
寺の縁起によれば、天平勝宝元年(749年)に報恩大師により開かれたという。当初は日待山日輪寺と称され、報恩大師建立の備前四十八ヶ寺の一つとして栄えたという[1]。報恩大師(? - 795年)は、備前国津高郡波河(岡山市芳賀)の出身とされる半ば伝説的な僧で、岡山県下の古寺の多くが報恩の開基伝承をもつ。
一時、衰退したが平安時代になり円仁(慈覚大師)が再興し本覚寺と改められたという。その後、近衛天皇の勅願所となるが、治承・寿永の乱で焼けた[1]。
室町時代には寺号を「餘慶寺」と改め[1]、浦上則宗の信仰を得、戦国時代には宇喜多氏の保護、江戸時代には岡山藩主池田氏の庇護の元で栄えた。
かつては7院13坊の塔頭を数えたが、今日でも恵亮院、本乗院、吉祥院、定光院、明王院、圓乗院の6僧院がある。豊原北島神社が隣接しており平安時代に発展した神仏習合の形態を今に留めている。
現在、年末年始には境内がライトアップされる。
けんやくに みをつつしみて おごりなく たゞよきことをすれば よけいじ
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