トップQs
タイムライン
チャット
視点

徳大寺公能

平安時代後期の公卿、歌人。徳大寺実能の長男。正二位・右大臣。勅撰集『詞花和歌集』以下に33首入集。徳大寺家2代 ウィキペディアから

徳大寺公能
Remove ads

徳大寺 公能(とくだいじ きんよし)は、平安時代後期の公卿歌人左大臣徳大寺実能の長男。官位正二位右大臣大炊御門右大臣と号す。

概要 凡例徳大寺 公能, 時代 ...

経歴

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

Remove ads

人物像

後白河天皇践祚すると娘の忻子は中宮となり、後白河帝在位中の保元元年(1156年)に右近衛大将、保元2年(1157年)に権大納言と急速に昇進する。

二条天皇の要請による藤原多子の再入内に対しては、『平家物語』では積極的、『今鏡』では困惑と、態度に違いがある。永暦元年(1160年)7月に正二位右大臣となるが、翌年8月に現職のまま47歳で薨去した。

多芸多才で管弦・歌・朗詠等に優れ、歌に関しては義兄である藤原俊成や、かつての家人・西行と交渉が深い。『詞花和歌集』以下、勅撰集に32首が入集する。

系譜

脚注

Loading content...

参考文献

Loading content...
Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads