Loading AI tools
ウィキペディアから
御輔 長道(みふ の ながみち)は、平安時代前期の貴族・明法家。名は永道とも記される。姓は安倍宿禰のち御輔朝臣。官位は従五位下・勘解由次官。
御輔氏(御輔朝臣)は安倍氏の一族。承和6年(839年)安倍真雄らが安倍宿禰から新たに御輔朝臣姓を与えられた際、長道も同時に改姓したと考えられる。
長道は左京出身。当初明経生となるがのちに律令を学び、別勅生と称して得業生と同様に朝廷から衣食が支給された[1]。のちに奉試(明法試)に及第し、仁明朝の承和7年(840年)明法博士となり、以降卒去するまで約20年の長きに亘りこれを務めた。承和13年(846年)善愷訴訟事件に際しては、法隆寺の僧侶・善愷の訴状を受理した弁官の罪状について意見を求められ、右大判事・讃岐永直らと共に公罪とする断文を提出している。
文徳朝の仁寿3年(853年)外従五位下に昇叙されると、のち斉衡2年(855年)大判事、天安2年(858年)勘解由次官を兼帯した。同年11月清和天皇の即位に伴う叙位により、内位の従五位下に至っている。
『六国史』による。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.