広河隆一

日本の写真家、ジャーナリスト (1943-) ウィキペディアから

広河隆一

広河 隆一(ひろかわ りゅういち、1943年9月5日 - )は、日本のフォトジャーナリスト市民活動家。フォトジャーナリズム月刊誌DAYS JAPANの元編集長、同誌発行の株式会社デイズジャパンの前代表取締役および前取締役。有限会社広河隆一事務所代表[1]。日本中東学会、日本写真家協会、日本写真協会、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)、各会員。チェルノブイリ子ども基金とNPO法人沖縄・球美の里の各元名誉理事長。

概要 広河 隆一, 生誕 ...
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経歴

要約
視点

日本占領下の中国天津市で出生、3歳の時に日本に引き揚げた。

1962年大阪府立生野高等学校卒業、1963年早稲田大学教育学部に入学し、1967年卒業。なお入学当初は早大山の会で活動していたが、同サークルの布川徹郎(後の日本ドキュメンタリストユニオンNDU代表)と「カメラルポルタージュ研究会」というドキュメンタリーサークルを立ち上げた[2]。1995年暮れに、早大闘争が始まるが、広河のサークルはこの闘争に参加するとともに、その記録の仕事をしている。広河はブント系の学生運動を行っていたとの記述がウィキペディアで繰り返されるが、本人と当時関係者はこれを否定している。

学生が就職活動期に入るとともに早大闘争は終焉した。広河はアナキストのプルードン研究者の長谷川進教授を通じて、ユダヤ人哲学者マルチン・ブーバーを知り、著書の記述で、イスラエルの農業共同体キブツを知り、卒業とともに1967年キブツに入った。

渡航から2週間後の1967年6月5日、第三次中東戦争が勃発。イスラエルが奇襲攻撃で勝利を収める。戦後の占領政策やパレスチナ人に対する過酷な人権侵害を知り、「マツペン」(羅針盤)という反シオニズム・反占領の活動をする団体に入り、活動を行うとともにパレスチナ問題を学び始めた。1968年にエルサレムのヘブライ大学で反シオニズム写真展を開催し、破壊されたパレスチナの村々の写真を中心に展示。多くのメディアや参加者の批判を浴びる。1970年に帰国。

講談社の少年マガジンや新雑誌開発室で、元少年マガジン編集長の内田勝氏のもとで働くとともに、パレスチナ難民を支援する運動に参加。

1982年6月、7人の写真家による「光と影のエルサレム」展を東武百貨店で開催。このときイスラエル軍のレバノン攻撃が始まり、85日間にわたり爆撃が続くが、8月末にパレスチナ解放機構PLOの撤退が開始され、この時布川徹郎氏とレバノン取材を開始し、PLOや英・仏・伊の各国平和維持軍が撤退するまで、布川と2人で取材し、その後広河一人が残る。9月15日のレバノン大統領爆死の後、イスラエル軍が西ベイルートに侵攻し、9月16日から18日までイスラエル軍監視下のサブラ・シャティーラの両難民キャンプにレバノン右派民兵(ファランジスト)が入り、死者行方不明者3000人ともいわれる難民虐殺機事件が起こった。広河は18日朝に現場に入ったがその時はまだ殺戮は続いていた。

この時の撮影写真と映像は、オスロ、ジュネーブ、東京などで開催されたレバノン戦争とサブラ・シャティーラ虐殺事件の国際公聴会に証拠として提出された。またこの写真は、当時ベルリンに本部を置いていた国際ジャーナリズム機関の写真展で大賞と金賞を受けた。

また、チェルノブイリ事故については30年以上に渡って取材し、ウクライナとベラルーシで被曝したり避難した子どもたちの保養施設の建設・運営の支援を続けた。小児甲状腺がんの治療費や、検査機器の支援も行っている。

1988年に発刊された講談社の「DAYS JAPAN」は、内田勝氏や土屋右二氏ら新雑誌開発室のチームが出版し、編集部に入って活動した。広河はパレスチナ、ダイヤモンドシンジケート、チェルノブイリ731部隊などに関する記事を掲載している。また日本テレビ(今日の出来事)、NHKなどでチェルノブイリや中東に関する報道番組を多数制作、発表している。

福島第一原発事故の後は、福島の子ども保養プロジェクトを立ち上げ、福島県の子どもたちを沖縄県久米島において保養させる施設も建設した。

1998年、「パレスチナ難民キャンプの瓦礫の中で/フォト・ジャーナリストが見た三十年」(草思社・1998年)を発表。自伝とも呼ぶべき著作である。

2002年7月、日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)設立。世話人代表(~2004年9月)を務め、のちに退会[3]

2003年12月、廃刊になっていたDAYS JAPANを再創刊すべく、株式会社デイズジャパンを設立。代表取締役社長を務める。

2004年3月、フォトジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」を再創刊。2004年4月号から2014年9月号まで同誌の編集長を務めた。

パレスチナ1948NAKBA(日本語、英語、アラビア語)も2008年に一コマ運動によって制作発表された。これをもとにして同年、広河隆一アーカイブス・パレスチナ1948NAKBA政策委員会の手によって・HIROKAWA RYUICHI ARCHIVES ON PALESTINE 1948 NAKBA(DVD30巻セット 英、日版)も制作され、各国の図書館、資料館などに置かれた。

2015年12月、広河の足跡を記録したドキュメンタリー映画「広河隆一 人間の戦場」がリリースされた。この年カタールのアルジャジーラも広河のドキュメンタリー映画を放映した。

週刊文春問題

要約
視点

週刊文春は、広河隆一が自分の地位を利用して、ボランティアやスタッフの複数の女性に対して性暴力を行った疑いがあると報じた。タイトルは次のとおりである。

  • 「世界的人権派ジャーナリストの性暴力を告発する」セックス要求、ヌード撮影、7人の女性が#MeToo(週刊文春2018年12月26日発売、2019年1月4日-10日号)
  • 「広河隆一は私を2週間毎晩レイプした」新たな女性が涙の告発(週刊文春2019年1月31日発売、2月7日号)

どちらも記事を書いたのはライターの田村栄治で、彼はDAYS JAPAN創刊号から記事や校正のために最低月一回DAYSで仕事をしていた。奥付には彼の名が毎月書かれていたから、半ば社内の人間でもあった。

田村が最初に広河に取材を持ち掛けたのは、2018年12月20日で、文春発売の6日前。ゲラ刷りが出る4日前だった。この時多くの女性が告発しているとして、その一つ一つが事実であるかどうか、田村は広河に確かめ、広河は多くの点が事実とは言えないとして、この日のうちに、デイズジャパンの顧問弁護士である森川文人から、広河が指摘した間違いのまま出版した場合は、「法的な処置をとる」との文書を送っている。

しかし記事はほとんど訂正されることなく発売された。広河は事実確認をまず行いたいと希望したが、多くの件は10年近く以前の出来事であり、相手の名前も思い出せないことが多かった。広河は、訴えられている内容の事実確認を行いたいと望んだが、それもできない場合が多かった。社の役員会によるヒアリングでも、訴えているのが誰か判明できた場合でも、性暴力については記憶がないと伝える場合も多かった。何年も前に、食事を一緒にしていて、なかなか話を終えてくれなかった、という訴えが記事で書かれていたような場合、それが誰のことかわからないことが多かったという。はっきりしている場合もあったが、文春の田村記者の取材時に広河は録音を取っていて、それは役員会にも提出された。こには誇張した話が多かったという。

発売日である12月26日には、多くのメディアがこの事件を大きく報じた。そしてフェミニズムの団体は、女性たちへの謝罪を要求し、デイズジャパンの役員会は、広河を代表取締役職を解任し、他の救援団体もそれぞれが理事長職などを解任した。最も激しい告発は、2回目の記事に掲載されたレイプ事件だった。これは一回目の記事を見た女性が広河を告発したのだが、これも事実とは認められないことが多くあったという。事実と確認できない告発にはどうすればいいのか、神奈川県の著名弁護士を紹介した人は、その女性のベテラン弁護士は、「とにかくまず謝りなさい」と助言したという。広河がきょとんとしたら「今はそういう時代だから」と言ったという。広河は謝れば非を認めたことになると話し、「謝罪は自白」という言葉があるので、まず事実関係を確認することに広河はこだわった。

さらに広河が女性の発言は虚偽だと思うと言ったとしたら、それはその女性が嘘をついているという意味になり、2次被害を引き起こす可能性があるからしてはならないと、顧問弁護士はじめ周囲の多くの人が言ったという。

広河は本人のnoteに詳細な証言を書いているが[4]、この2次被害の問題に対しては、どう対処するか決められなかった。そのため身を潜めることになったという。一方でデイズジャパンは、第三者委員会にあたる検証委員会を設けて、2019年12月末に検証報告書を発表した。そこで某大な数の性被害の訴えやセクハラパワハラを認定した[5]

週刊文春で報じられた直後、広河は、「私の向き合い方が不実であったため、このように傷つけることになった方々に対して、心からお詫びいたします」とのコメントを発表している。広河個人によるものとされるこのコメントと会社のコメントは、ほとんどの場合がそうであるように、会社の顧問弁護士の馬奈木厳太郎氏によるものという。2022年に広河によって書かれたnoteの記事は、この問題の詳細が書かれ、そこには事実と確認した女性への謝罪の言葉もある。さらに当時の事情を知る人々に会って、事実確認をやり直しているとも聞く。ただ被害者を名乗る人には、直接会うことをせず、当時の社員に頼んでいるという。

裁判

広河が書いた「文春の記事についての、東京地裁の判決(2026年1月22日)を受けて」という文章がnoteで公にされている[要出典]。引用したい。

私は、2023年3月に株式会社文藝春秋に対して、文春オンライン記事による名誉毀損の損害賠償と、謝罪広告、で、東京地裁に提訴しました。記事は、文春オンラインの『「あの人は私を2週間毎晩レイプした」広河隆一”性暴力”被害女性が涙の告発』(2019年12月27日)と題する記事です。

私は絶対にレイプを行っていないと反論しました。レイプという言葉は文春記事が出た5年前はもちろん、現在に至るまで殆どすべての国語辞書には、レイプ=強姦と書かれており、人々は、「暴行や、抵抗が困難になるような脅迫や薬物やアルコールを用いて、性交を行うこと」がレイプであると理解していました。アンケートでも80パーセント以上の人がそのように理解していました。

ですからこの記事の反響はすさまじく、私を「レイプ魔」「強姦犯」とする記事がインターネット上に溢れました。またこの記事をもとにした英文毎日、ジャパンタイムズの記事、ネットニュースの英語版なども世界に広く伝わり、私がレイプしたとして、多くの取材の仕事や救援活動が中止となりました。その記事は今も海外で行き渡っています。また国内でも私は本名を名乗ることができなくなり、私の映画も上映中止になり、写真展も中止になりました。もちろん私に取材を依頼するメディアもなくなりました。

この報道の前にも、2018年12月26日発売の週刊文春と文春オンラインで私の「性暴力」と題する報道がありましたが、私が最もすさまじい攻撃を受けたのが、私が「レイプ」したとする報道の反響でした。

私は私がレイプをしたと書かれた記事内容は事実なのかどうか、真偽を争う裁判をする以外に、名誉を回復する道はないと考え、2024年3月に文藝春秋を東京地方裁判所に提訴しました。

この裁判は2025年1月22日に東京地裁で判決が出ました。判決を報道する記事のタイトルは次のようなものでした。

「性加害問題 文春側に賠償命令」(朝日新聞)

「広河隆一さんに『レイプされた』記事、名誉毀損……文藝春秋に55万円賠償命じる 東京地裁>  (「弁護士ドットコム」の記事で、ヤフーニュース、GOOニュース、MSN、毎日ほかに掲載)

また記者会見で、原告代理人弁護士(渥美陽子・松永成高)は、「広河氏がレイプをしていないという主張に沿った判決になった」、「衝撃的なタイトルによる名誉毀損が認められたことは、評価できる」と述べています。

判決に対する当初の私の感想は、「ようやく息をつける」というものでした。それは大まかに言って勝訴だったという事に対する感想にすぎません。「レイプ」という言葉を記事のタイトルに付けるだけで、どれだけ間違ったイメージを読者に与え、名指された人の名誉を毀損する事になるか、注意を払わなければならないと、あらためて感じました。

またこの判決文には、私は満足してはいません。また文春の取材が、最初から答えありきで、犯罪があったことは事実だと決めつける取材であったことは、明らかにはされませんでした。

それなのに「真実相当性」が認められた事については、読んだ人に混乱を与えました。その例は朝日新聞の記事です。それは記事内容が真実相当であると判決しながら、名誉毀損を認めるという、一見して矛盾しているような記事に見えるからです。

文藝春秋は、判決を不服として控訴しましたが、私のほうも控訴しました。

そのほか記者会見で判決文について、渥美・松永弁護士によって指摘された問題は、「本件記事の内容については、広河氏が行ったとされる行為の具体的態様について事実と異なる点が多くあったにもかかわらず、全体の文脈で概括的な事実摘示とされてしまったことは残念である」と書かれています。

さらに「また(文春の)記者の取材のメールの内容等を見ると、相当に先入観に基づいたものであったと考えざるを得ないのに、真実相当性が認められたのは残念である」と続けています。

さらに、記事を改めて読みましたが、文春オンラインの田村記者の裏どりの無さの多さに驚くばかりでした。

受賞歴

著書・編著

  • 『ユダヤ国家とアラブゲリラ』草思社、1971年
  • 『パレスチナ幻の国境』草思社、1976年
  • 『ベイルート大虐殺』三一書房 1983年
  • 『世界の子どもたち 3 パレスチナ 難民キャンプの子メルバット』写真・文 偕成社 1986年
  • 『世界の子どもたち 14 ギリシア 風の島のカテリーナ』写真・文 偕成社 1986年
  • 『世界の子どもたち 16 ヨルダン アリの歴史への旅』写真・文 偕成社 1987年
  • 『破断層』講談社、1987年 のち文庫- レバノンのパレスチナ人を題材とした小説、改題『帰還の坑道』 デイズジャパン 2013年
  • 『パレスチナ』岩波新書、1987年
  • 『核の大地 チェルノブイリ、そして汚染の世界を行く』講談社、1990年
  • 『チェルノブイリ報告』岩波新書、1991年
  • 『パレスチナ 瓦礫の中のこどもたち』徳間書店 1991年 のち文庫
  • 『沈黙の未来 旧ソ連「核の大地」を行く』新潮社 1992年
  • 『エイズからの告発』徳間書店 1992年
  • 『戦火の4都市 エルサレム・ベイルート・バグダード・クウェート』写真. 第三書館 1992年
  • 『ニーナ先生と子どもたち チェルノブイリから』小学館 1992年
  • 『AIDS 少年はなぜ死んだか』講談社 1993年
  • 『日本のエイズ/薬害の犠牲者たち』徳間書店 1993年 『薬害エイズの真相』文庫 1996年
  • 『チェルノブイリから広島へ』岩波ジュニア新書 1995 年
  • 『薬害エイズ』岩波ブックレット 1995年
  • 『裁かれる薬害エイズ』岩波ブックレット 1996年
  • 『AIDS 「薬害エイズ」告げられなかった真実』(マガジン・ノベルス・ドキュメント)講談社 1996年
  • 『チェルノブイリの真実』講談社 1996年
  • 『チェルノブイリと地球』講談社、1996年
  • 『人間の戦場 フォトジャーナリスト広河隆一の全軌跡』(フォトミュゼ)新潮社 1998年
  • 『パレスチナ難民キャンプの瓦礫の中で フォト・ジャーナリストが見た三十年』草思社 1998年
  • 『原発被曝―東海村とチェルノブイリの教訓』講談社 2001年
  • 『反テロ戦争の犠牲者たち』岩波書店(岩波フォト・ドキュメンタリー世界の戦場から) 2003年
  • 『岩波フォト・ドキュメンタリー世界の戦場から 戦争とフォト・ジャーナリズム』岩波書店 2004年
  • 『暴走する原発―チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと』小学館 2011年
  • 『福島 原発と人びと』岩波新書 2011年 ISBN 9784004313229
  • 『新・人間の戦場 フォトジャーナリスト広河隆一の全軌跡』 デイズジャパン 2012年 ISBN 9784990198206

共編著

  • 『奪われた国の子供たち パレスチナ・ドキュメンタリィ写真集』編. 第三書館 1979年
  • 『燃える石油帝国・イラン』編. 第三書館 1979年
  • 『光と影のエルサレム』編. 「光と影のエルサレム」展実行委員会事務局 1982年
  • 『ベイルート1982 イスラエルの侵攻と虐殺』写真・編. PLO中央評議会「サブラ・シャティーラ特別委員会」 1983年
  • 『レバノン極私戦』立松和平文, 広河写真. 河出書房新社 1984年
  • 『ユダヤ人〈1〉ユダヤ人とは何か』『ユダヤ人〈2〉ダイヤモンドと死の商人』三友社出版 1985年 - パレスチナ・ユダヤ人問題研究会との共編
  • 『四番目の恐怖 チェルノブイリ、スリーマイル島、ウィンズケール、そして青森をつなぐ運命』広瀬隆共著. 講談社 1988年 「悲劇が進む」(講談社文庫)
  • 『ダイヤモンドと死の商人 イスラエルの世界戦略』パレスチナ・ユダヤ人問題研究会共編 三友社出版 1988年
  • 『革命伝説』日名子暁 文、広河写真 アイピーシー 1989年
  • 『中東共存への道 パレスチナとイスラエル』編 岩波新書 1994年
  • 竜平の未来 エイズと闘う19歳』川田悦子共著. 講談社 1995年
  • 『原発・核 写真・絵画集成 v.2 チェルノブイリの悲劇」編・著 日本図書センター 1999年
  • 『原発・核 写真・絵画集成 v.3 原発と未来のエネルギー』豊崎博光共編・著 日本図書センター 1999
  • 『チェルノブイリ消えた458の村 写真記録』編著. 日本図書センター 1999
  • 手島悠介『ナターシャ―チェルノブイリの歌姫』(写真) 岩崎書店 2001年 ナターシャ・グジーについての取材
  • 『写真記録 パレスチナ1 激動の中東35年』編著 日本図書センター 2002年
  • 『写真記録 パレスチナ2 消えた村と家族』編著 日本図書センター 2002年
  • 『子どもに伝えるイラク戦争』小学館 2004年 - 石井竜也との共著
  • 『パレスチナ1948 NAKBA』編 合同出版 2008年
  • 『チェルノブイリと福島 人々に何が起きたか 写真記録』編著 デイズジャパン 2016年

寄稿

翻訳

  • マリー・L.ベルネリ『ユートピアの思想史 ユートピア志向の歴史的研究』手塚宏一共訳. 太平出版社 1972年
  • R.G.ウェッソン『ソヴェト・コミューン』河出書房新社 1972年
  • フェリシア・ランゲル『イスラエルからの証言 ユダヤ女性弁護士の記録』群出版 1982年
  • アキバ・オール『誰がユダヤ人か』幸松菊子共訳. 話の特集 1984年
  • カマール・サリービー『聖書アラビア起源説』草思社、1988年 - 矢島三枝子との共訳
  • ポーリン・カッティング『パレスチナ難民の生と死 ある女医の医療日誌』岩波書店(同時代ライブラリー) 1991年

映画作品

  • 『パレスチナ1948・NAKBA』 2008年の日本公開映画/3月|2008年3月22日公開(監督・撮影・写真)
  • 『広河隆一 人間の戦場』 2015年の日本公開映画/12月|2015年12月19日公開(長谷川三郎監督、出演)

脚注

関連項目

外部リンク

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