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日本の内閣 ウィキペディアから
平沼内閣(ひらぬまないかく)は、枢密院議長の平沼騏一郎が第35代内閣総理大臣に任命され、1939年(昭和14年)1月5日から1939年(昭和14年)8月30日まで続いた日本の内閣。
1939年(昭和14年)1月5日任命[1]。在職日数238日。
職名 | 代 | 氏名 | 出身等 | 特命事項等 | 備考 | |
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内閣総理大臣 | 35 | 平沼騏一郎 | 貴族院 無所属 (無会派) 男爵 |
枢密顧問官 | ||
外務大臣 | 52 | 有田八郎 | 貴族院 無所属 (無会派) |
留任 | ||
内務大臣 | 51 | 木戸幸一 | 貴族院 無所属 (火曜会) 侯爵 |
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大蔵大臣 | 39 | 石渡荘太郎 | 大蔵省 | 初入閣 | ||
陸軍大臣 | 27 | 板垣征四郎 | 陸軍中将 (陸大28期) |
対満事務局総裁兼任 | 留任 | |
海軍大臣 | 19 | 米内光政 | 海軍大将 (海大甲種12期) |
留任 | ||
司法大臣 | 38 | 塩野季彦 | 司法省 | 逓信大臣兼任 | 留任 | |
文部大臣 | 49 | 荒木貞夫 | 予備役陸軍大将 男爵 |
留任 | ||
農林大臣 | 13 | 櫻内幸雄 | 衆議院 立憲民政党 |
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商工大臣 | 17 | 八田嘉明 | 貴族院 無所属 (研究会) |
拓務大臣兼任 | ||
逓信大臣 | 43 | 塩野季彦 | 司法省 | 司法大臣兼任 | 1939年4月7日免兼[2] | |
44 | 田辺治通 | 逓信省 | 初入閣 1939年4月7日任[2] | |||
鉄道大臣 | 16 | 前田米蔵 | 衆議院 立憲政友会 |
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拓務大臣 | 14 | 八田嘉明 | 貴族院 無所属 (研究会) |
商工大臣兼任 | 留任 1939年4月7日免兼[2] | |
15 | 小磯國昭 | 予備役陸軍大将 (陸大22期) |
初入閣 1939年4月7日任[2] | |||
厚生大臣 | 2 | 広瀬久忠 | 内務省 | 初入閣 | ||
班列 | - | 近衛文麿 | 貴族院 無所属 (火曜会) 公爵 |
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1939年(昭和14年)1月5日任命[1]。
1939年(昭和14年)1月19日任命[4]。
職名 | 氏名 | 出身等 | 備考 |
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外務政務次官 | 清水留三郎 | 衆議院/立憲民政党 | |
内務政務次官 | 漢那憲和 | 衆議院/立憲民政党/予備役海軍少将(海大甲種9期) | |
大蔵政務次官 | 松村光三 | 衆議院/立憲政友会 | |
陸軍政務次官 | 西村茂生 | 衆議院/立憲政友会 | |
海軍政務次官 | 松田竹千代 | 衆議院/立憲民政党 | |
司法政務次官 | 倉元要一 | 衆議院/立憲政友会 | |
文部政務次官 | 小柳牧衛 | 衆議院/立憲民政党 | |
農林政務次官 | 松村謙三 | 衆議院/立憲民政党 | |
商工政務次官 | 今井健彦 | 衆議院/立憲政友会 | |
逓信政務次官 | 平川松太郎 | 衆議院/立憲民政党 | |
鉄道政務次官 | 工藤十三雄 | 衆議院/立憲政友会 | |
拓務政務次官 | 寺田市正 | 衆議院/立憲政友会 | |
厚生政務次官 | 津崎尚武 | 衆議院/立憲政友会 | |
1939年(昭和14年)1月19日任命[4]。
職名 | 氏名 | 出身等 | 備考 |
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外務参与官 | 箸本太吉 | 衆議院/立憲政友会 | |
内務参与官 | 中井一夫 | 衆議院/立憲政友会 | |
大蔵参与官 | 矢野庄太郎 | 衆議院/立憲民政党 | |
陸軍参与官 | 中井川浩 | 衆議院/立憲民政党 | |
海軍参与官 | 中原謹司 | 衆議院/立憲民政党 | |
司法参与官 | 浜野徹太郎 | 衆議院/立憲民政党 | |
文部参与官 | 野中徹也 | 衆議院/国民同盟 | |
農林参与官 | 林譲治 | 衆議院/立憲政友会 | |
商工参与官 | 沢田利吉 | 衆議院/立憲民政党 | |
逓信参与官 | 上田孝吉 | 衆議院/立憲政友会 | |
鉄道参与官 | 青木亮貫 | 衆議院/立憲民政党 | |
拓務参与官 | 江藤源九郎 | 衆議院/日本革新党/予備役陸軍少将(陸士11期) | |
厚生参与官 | 綾部健太郎 | 衆議院/立憲政友会 | |
※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。
前の第1次近衛内閣の崩壊を受けて、枢密院議長の平沼騏一郎が組閣した。共産主義に対抗する枢軸としてドイツとの関係強化をしようとしていたが、昭和14年(1939年)8月23日にドイツ(ナチス・ドイツ)が突然ソビエト連邦と独ソ不可侵条約を締結したことを受けて平沼首相は8月28日にいわゆる「複雑怪奇」声明を残して内閣総辞職した。
今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み従来準備し来った政策は之を打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至りました
というような談話を発表した[注釈 2][注釈 3][注釈 4]。
この談話は当時の日本外交の国際認識の欠如を象徴的に示している。当時の読売新聞社説は「外交政策を樹直さねば〔ママ〕ならなくなった点につき責任をとったもの」と見なし、「ドイツの不信行為」に対応するため「国内の体制を一新」することが必要であり、近衛内閣の大部分が留任していた平沼内閣が解散することはやむを得なかったと評した[注釈 5]。
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