平和橋 (中川)
東京都の橋 ウィキペディアから
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平和橋(へいわばし)は、中川に架かる東京都道308号千住小松川葛西沖線(平和橋通り)の橋である。 右岸 (北詰) の東京都葛飾区東立石一丁目および東四つ木二丁目と左岸 (南詰) の東新小岩八丁目および西新小岩五丁目の間を結んでいる [3]。 現在の橋は、1960年竣工の2代目である。
現在ある平和橋の両岸には明治時代には右岸に"薬師道"、左岸に"逆井道"という道路が中川に沿うように通っていたが、渡船場
った。
関東大震災の後の帝都復興事業に対応する形で 新たに決定した1927年 (昭和2年) 8月の東京府の都市計画の中に「補助線道路82号」(現在の 東京都道308号千住小松川葛西沖線のうち本田広小路ー八蔵橋間)があり、平和橋はこの新小岩駅(1928年開業)と本田町(1928年町制施行)を 直線で結ぶ新道路の一部に当たっている [4]。 道路部分は中川の両岸で開通していたものの、橋は終戦まで架けられていなかった。
初代の橋は終戦間もない1947年 (昭和22年) 6月開通、橋長144.2 m、幅員6 mの仮設木製であった [5]。 竣工式は6月27日に行われたという [6]。
架橋からわずか3カ月後の1947年 (昭和22年) 9月14日から15日にかけて関東地方はカスリーン台風 の通過に伴う豪雨に見舞われた。その後、天候は回復しても中川の水位は上昇し続け9月19日には葛飾区長による避難命令が下される状況になり 最終的に橋の本田川端町側(現在の東立石、東四つ木)、約二分の一が落下した。 このとき平和橋同様に上流の奥戸橋、下流の上平井橋という木橋がともに落下しているが、これらの橋がしばらく手つかずの状態にある中、平和橋だけは10月中には復旧工事に取りかかっており、1947年 (昭和22年) 12月30日に復旧している [7][8][9]。
1957年、仮設橋から永久橋への架け替えが決定し、1960年 (昭和35年) 5月、竣工した。
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