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日本の歌舞伎役者 ウィキペディアから
六代目嵐芳三郎(ろくだいめ あらし よしさぶろう、1935年8月22日[1] - 1996年8月22日[1])は、前進座の歌舞伎役者・俳優。屋号は豊島屋。旧芸名は嵐芳夫。東京都出身[1]。本名は寺田敏晃[1]。
高祖父に二代目嵐璃珏、祖父に四代目嵐芳三郎[1][2]。五代目嵐芳三郎の長男[1][2][3]。弟に嵐圭史、声優の麦人、妹に女優の寺田路恵[1][2][3]、シャンソン歌手の広瀬節子[4]。妻は日本舞踊家の藤間多寿史[5][6][7]、長男が六代目河原崎國太郎、次男が七代目嵐芳三郎[1]。
1939年に「襲われた町」で四代目嵐市太郎名乗り初舞台。当時の芸名は嵐芳夫。51年に前進座に入り、以後女形として活躍。1978年に六代目嵐芳三郎を襲名。1982年の中村翫右衛門の没後は、五代目河原崎國太郎や弟の圭史、四代目中村梅之助らと共に、前進座の中心俳優として舞台を盛り立てた。代表作に『俊寛』の千鳥、『女殺油地獄』のお吉、『勧進帳』の義経など。
1996年8月22日、中日劇場公演『左の腕』の稽古中に急性心筋梗塞で死去。墓所は台東区一乗寺にある。戒名は「修芳院伎照日晃居士」。
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