崇元寺
沖縄県那覇市にあった寺院 ウィキペディアから
沖縄県那覇市にあった寺院 ウィキペディアから
崇元寺(そうげんじ、琉球語:スーギージ)は、沖縄県那覇市泊にあった臨済宗の仏教寺院。山号は霊徳山。琉球王国の国廟とされ、歴代琉球国王の神霊位を祀っていた。円覚寺とともに琉球双璧の名刹であったが、1945年、沖縄戦により焼失した[1]。
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崇元寺は琉球王国の国廟で、舜天から尚泰王までの歴代国王の神霊位が祀られていた。創建は、門前にある崇元寺下馬碑の銘から尚清王が即位した直後の1527年(嘉靖6年)と推定される。中国王朝からの冊封使は、首里城で挙行される新王冊封の大典に先立って、当寺で先王の霊を慰める「先王諭祭(さんおうゆさい)」が行われた。
正廟を中心に中国風の伽藍が建ち並び、正廟、石門などが旧国宝に指定されていたが、沖縄戦により破壊され焼失した。戦後、崇元寺は在琉米軍や地元民の寄付金により、石門(第一門)のみ修復され、跡地は崇元寺公園となっている。石門は歴史的建造物として、1955年に琉球政府の特別重要文化財に指定され、本土復帰した1972年には重要文化財に指定されている。
昭和30年代頃までは宗元寺跡に木造で図書館が造られ、いつも多くの人々が利用していた。その頃の門の中の様子は、まず入ると右手が小山の様になっており上には木魔王の木が林の様に立っていた。そこから下へ小さな滝が池に流れ落ち、池には鯉やカメ等がいた。反対側の左奥には階段を上った先に、なぜか紅葉が一本植えられていて、子どもの頃はなぜこの木は冬になると葉が赤くなるのだろうと不思議であった(その頃の沖縄には紅葉する木々は見なかった)。しかし、その図書館も、小山も滝も、その紅葉もすべて取壊され、門だけが残こり、現在は公園として整備されている。 — 服部悟史
那覇市は寺の跡地を国の史跡にすることを目指しており、2020(令和2)年度に遺構の調査を始め、2022(令和4)年度には整備に必要な隣接地の土地を購入した[2]。また、2021(令和3)年度からは10億円近くをかけて跡地を保存する整備事業を進めており、2023年(令和5年)7月には焼失前の伽藍配置を再現した150分の1の模型と、調査で確認された階段などの遺構を合成樹皮で一部再現したジオラマ(4メートル四方)をマスコミ向けに披露した[2]。市は国史跡への指定のみならず、将来的には伽藍を復元したいとしている[3]。加えて、崇元寺に関する資料館の建設も計画しており、2024年(令和6年)5月住民に向けた説明会が開かれた。出席者からは「地域の交流の場にしたい」、「津波の避難所としても活用できる建物にしてほしい」などの要望が上がった[4]。
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