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島津 久賢(しまづ ひさよし[1] / ひさたか[2]、1881年(明治14年)4月20日[1] - 1926年(大正15年)11月10日[1][2])は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・相良、旧名・基直[1][3]。
旧人吉藩主・相良頼基の六男[注 1]として生まれる[3][4]。1896年(明治29年)加治木島津家当主・島津健(とし、前当主・故島津久宝夫人、島津久徴六女)の養子となり、同年8月14日に家督を継承[1][3]。1897年(明治30年)10月27日、久宝の戊辰戦争の功により特旨をもって男爵を叙爵した[1][5]。
錦城中学校を経て、1906年(明治39年)早稲田大学政治経済科を卒業[1][3][6]。1909年(明治42年)イギリスに留学し、政治学・法律学を学び、1910年(明治43年)10月に帰国した[1][3][6]。
1914年(大正3年)6月13日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、公正会に所属して活動し[2]、1925年(大正14年)2月21日に辞職した[2][9]。その他、護謨工業代表、東京セルロイド取締役、京浜大和運河取締役を務めた[4]。
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