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岸 信行(きし のぶゆき、1948年6月10日 - 2018年4月23日)は、日本の空手家。極真会館出身で、独立後、山形県新庄市に本部を置く岸空手道場の師範を務めた。
山形県新庄市出身。山形でも他流派の空手を修行していたが、19歳の時に上京し、極真会館に入門。その後、内弟子になり、山崎照朝や長谷川一幸に鍛えられ修行を重ね、 1971年(昭和46年)3月4日に黒帯(初段)を允許[1]を受ける。同時代に一緒に修行した仲間に佐藤勝昭や三浦美幸がいる。その後、台湾に派遣され、現地で指導を行う。帰国後、本部道場指導員に就任。
1974年(昭和49年)にニューヨークの中村忠のもとへ派遣される。中村が極真会館から離れ誠道塾を興した際に2年ほど協力し極真会館へ復帰する。また、極真カラテ普及のためにヨーロッパ方面へも指導に赴いている。
1989年(平成元年)前後に組織が大きくなり「自分の居場所ではない」と再度極真会館を脱会しマンハッタンと地元山形県に岸空手道場を設立。
還暦を過ぎても日々稽古に勤しみ、分厚い氷柱割り演武もそつなくこなす程の腕前であった。
オープントーナメント全日本空手道選手権大会やオープントーナメント全世界空手道選手権大会に出場したが入賞歴はなく、途中の怪我などにより棄権を余儀なくされていた。その不運な事から「無冠の帝王」「道場チャンピオン」と呼ばれていた。ただし実戦での強さは折り紙付きで、当時の極真会館へ挑戦状を叩きつけに来た他流派の道場破りの殆どは、岸と長谷川一幸の2人で片付け、もちろん無敗であった[3]。加えてその人柄から、先輩後輩問わず誰からも愛され、慕う人物は実に多かったという。
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