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熊本県玉名市の大字 ウィキペディアから
玉名市西部の友田川の中流の丘陵地に位置し、北で岱明町三崎、東で岱明町中土、南東で岱明町浜田、南で岱明町鍋、南西で岱明町扇崎、西で行末川を挟み長洲町折崎と接している。西部は友田川に沿って出っ張ったような形状をしている。当地には駅前、馬場、中尾丸、大野下東の4つの行政区に分かれており、これらの行政区は市立小・中学校の校区やゴミ捨ての区域などに用いられている。
また、当地内の目倉尾遺跡からは縄文時代初期の押型文土器が、中尾崎遺跡からは弥生時代後期の土器などが出土している。
斎院次官であった中原親能が鎌倉幕府からの命により、当地に下村城を建立した。その後は1582年(天正10年)に落去し、少なくとも大正時代頃までは城壁や堀が残っていたとされる[4]。
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2022年(令和4年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
行政区 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
駅前 | 22世帯 | 46人 |
馬場 | 82世帯 | 173人 |
中尾丸 | 81世帯 | 174人 |
大野下東 | 121世帯 | 336人 |
計 | 306世帯 | 729人 |
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。
当地内をバス路線は通っていない。
毎年7月下旬に旧大野下村域の住民総出で行われ、八大龍王神社に奉納したあと旧大野下村の村社である大野下八幡宮にて神事が行われる。奉納は竹に御幣と「長雨降ろう、降ろう」という願いが込められたフロウ豆をつけた2人を先頭にし、八大龍王神社へ向かう。 踊り手たちが白法被に鉢巻き、手甲脚絆にわらじという参勤交代の時の姿で左腰に木刀、右腰に瓢箪をぶら下げて太鼓と鉦と笛、そして「奴地歌」に合わせて地を踏み、天に拳を突き上げる。
この雨乞い踊りは江戸時代頃からあり、加藤清正によると伝わる土木事業により当地を含む行末川、友田川の流域が耕作地となった。しかし当時は水の便が悪く、日照りによる水不足に困った住民による雨乞いの儀式が行われた。戦後になるとため池や水路の整備によって農業用水の心配はなくなったが、地域の伝統を守るために現在でも行われている[14]。
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