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日本のラグビー選手 ウィキペディアから
岩渕 健輔(いわぶち けんすけ、1975年12月30日 - )は、日本の元ラグビー選手。現在は、日本ラグビーフットボール協会の専務理事[1]。かつて、男女7人制ラグビー日本代表チームで総監督、7人制ラグビー男子日本代表チームでヘッドコーチを務めた。
青山学院初等部3年生の時にラグビーを始める。青山学院中等部・高等部、青山学院大学国際政治経済学部に進む。
1997年(平成9年)5月3日、第2回パシフィック・リム選手権の香港代表戦で初キャップを獲得。
1998年(平成10年)4月、神戸製鋼に入社。同年10月にケンブリッジ大学社会政治学部に入学。
1999年(平成11年)10月、第4回ワールドカップ1999の日本代表メンバーに選ばれたが[5][6]、出場機会は無かった[7]。
1999年12月、ケンブリッジ大学在学中にオックスフォード大学との定期戦(ザ・バーシティマッチ)に出場、「ブルー」の称号を得る。
2000年7月にケンブリッジ大学卒業。同時に神戸製鋼を退社。
2000年8月にイングランドプレミアシップのサラセンズに入団。日本人初のプレミアシップ出場を果たした。
2001年、ワールドカップセブンズ2001で、7人制日本代表の主将を務めた。
2002年に釜山アジア大会の7人制で左膝靱帯を断裂。その後、長期戦線離脱を余儀なくされた。
2004年、サラセンズと提携を結ぶ福岡サニックスブルースに、ストラテジーコントローラーとして派遣。
2005年、福岡サニックスブルースの選手兼任コーチとして登録される。
2009年、日本ラグビーフットボール協会ハイパフォーマンスマネージャーに就任[8]。
2012年、日本ラグビーフットボール協会日本代表GM(ゼネラルマネージャー)に就任[9]。
2017年、GM職廃止に伴い、男女7人制の総監督に就任[10]。併せて、15人制女子代表の強化委員長に就任[11]。
2018年、男子7人制日本代表ヘッドコーチに就任。男女7人制の総監督との兼務となる[12]。
2019年、日本ラグビーフットボール協会専務理事に就任[13]。
2021年2月、ジャパンラグビートップリーグなどの再編に伴うプロラグビー新リーグの立ち上げに向けて、日本ラグビーフットボール協会専務理事との兼務扱いで、協会の新リーグ法人準備室長に就任(初代の室長を務めた谷口真由美理事の後任)[14]。同年8月11日、男子7人制日本代表ヘッドコーチを退任[15]。
2021年6月、日本ラグビーフットボール協会専務理事に再任[16]。
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