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明治期の官僚、政治家 ウィキペディアから
岩村 定高(いわむら さだたか、1828年(文政11年11月12日[要出典])- 1899年(明治32年)1月7日[1])は、明治期の官僚、政治家。三重県令、元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。旧名・右近[2]。
佐賀藩士の家に生まれる[3]。
明治2年7月17日(1869年8月24日)佐賀藩権大参事に就任。同年7月23日(8月30日)明治政府に出仕し開拓御用掛となる。以後、開拓権判官、兼民部権大丞、山形県大参事、同県参事を歴任[2]。
明治5年9月18日(1872年10月20日)三重県参事に転じた。1873年11月2日、三重県権令、1875年12月9日、三重県令に昇進[2]。1876年4月18日、現在の三重県が成立し引き続き県令を務め、県政の基礎を確立することに尽力[4]。同年12月、飯野郡(現在の松阪市)に端を発した地租改正反対一揆である伊勢暴動が起こり鎮圧した。また、1880年5月、通常県会に郡長・郡吏員増俸案を提出したが、県会で削減が可決された。岩村は原案執行を行い、財源を地租として徴収したため、県議30名が異議を唱え辞表を提出し帰郷した連袂辞職事件が起こった[4]。
1884年7月10日、元老院議官に就任。1890年10月20日の廃止まで在任し非職となり、同日、錦鶏間祗候を仰せ付けられ[2]、1891年4月21日、非職元元老院議官を依願免本官となる[5]。同年4月15日、貴族院勅選議員に任じられ[6]、死去するまで在任した[1]。
愛知県犬山市にある「博物館 明治村」には、岩村定高の発案による洋風県庁舎が、現存する最古の県庁舎(旧三重県庁舎)として保管展示されている。(国の重要文化財)
明治12年(1879)に完成し、新庁舎建設に伴い昭和39年(1964)に解体され、「博物館 明治村」に昭和41年(1966)に移築復元された。
三重県庁舎は、間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称となっており、正面側に2層のベランダがめぐらされている。 中央に玄関と車寄を置き、前面にベランダをつけて左右対称とする構成は、明治9年(1876)に建てられた内務省庁舎にならったもので、明治初期の木造官庁舎の典型といえる。
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