岩原豊子
日本の元バレーボール選手、指導者 ウィキペディアから
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日本の元バレーボール選手、指導者 ウィキペディアから
岩原 豊子(いわはら とよこ、現姓:和田[1]、1945年5月11日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。1968年メキシコオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。
疎開先の母の実家(茨城県)で生まれ、東京都台東区育ち。バレーボール強豪校の中村高校に進学し、全日本総合選手権ベスト4などに貢献した。
1964年に実業団のヤシカに入部し、セッターに転向する。1967年に全日本メンバーに選出され、同年の世界選手権優勝、1968年のメキシコオリンピック準優勝などに貢献した。
国内では、1967年度の第1回日本リーグでベスト6およびレシーブ賞を獲得し、チーム準優勝に大きく貢献した。現役引退後もコーチとして後身の指導に当たり、1978年5月のヤシカ廃部までチームのために尽力した。
現在は、バレーボールアカデミー(貝塚ドリームス)のスタッフとして尽力している[2]。
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