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山口 三郎(やまぐち さぶろう、1889年(明治22年)9月27日 - 1934年(昭和9年)2月1日)は、日本の海軍軍人で海軍航空草創期の搭乗員。海軍随一の空爆の名手[1]であったが、神兵隊事件で内乱予備陰謀罪に問われ検挙された。最終階級は海軍中佐。
海軍兵学校39期。旧米沢藩士族山口源之助の三男として神奈川で生まれる。海軍少将・山口実(海兵36期)は実兄である。1911年(明治44年)7月、中位の成績で海兵を卒業した。伊藤整一、角田覚治、和田操らは同期生である。中尉時代に第6期航空術研究委員に補され、搭乗員となる。英国の航空学校で航空戦術などを学び、航空隊の教員や飛行長、飛行隊長を歴任。優れた後進を多数育成し、その功績は大きかった[2]。1933年(昭和8年)に生起した神兵隊事件では7月7日に首相官邸、警視庁を爆撃する予定であったが、同月11日に延期となるうちに計画が発覚。山口は逮捕され、予審中に死去した。
山口が神兵隊事件に参加した背景には、井上日召とのつながりが指摘されている。井上の長兄は海兵33期出身の井上二三雄中佐であるが、井上中佐は山口に操縦技術を教えた教官であった[1]。また海軍青年将校運動の指導者であった藤井斉は井上と盟約を結んでいたが、山口の教え子である[3]。山口に参加を勧誘した前田虎雄は、井上日召とは満鉄従業員養成所以来の仲で、神兵隊事件の首謀者の一人である本間憲一郎と前田、井上は血盟三人男の異名があった。
山口が即席で大漁歌をもじって作った歌は、搭乗員たちに愛唱された[4]。
#一つとせ 人と生まれて鳥の真似 するにゃ心を軽くもて ハァー操縦だね— 『海軍航空隊、発進』
- 二つとせ 肥り過ぎては飛行機が 汗をかくぞえ運動せよ ハァー操縦だね
- 三つとせ 皆さん飛行機練習は 武芸と心得修行せよ ハァー操縦だね
- 四つとせ よしておくれよ深酒は 明日の飛行が気にかかる ハァー操縦だね
- 五つとせ 何時でも短気は損気だよ 飛行機のるときゃにこにこと ハァー操縦だね
- 六つとせ 無理な操縦しなさんな 飛行機だっても泣きますよ ハァー操縦だね
- 七つとせ 七つ道具も弁慶の 腕がなければ重いだけ ハァー操縦だね
- 八つとせ 八方四面を見張りして 空中衝突しなさんな ハァー操縦だね
- 九つとせ 木の葉のようにがぶっても 気流ぐらいに驚くな ハァー操縦だね
- 十つとせ 遠くて近いが戦争よ 玉と砕けよ国のため ハァー操縦だね
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