小笠原長和
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小笠原 長和(おがさわら ながよし)は、江戸時代後期の大名。肥前国唐津藩4代藩主。官位は従五位下・佐渡守。忠知系小笠原家12代。
先代の唐津藩主・小笠原長会の養子となり、天保7年(1836年)に長会の死去により跡を継いだ。同年6月1日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。天保8年(1837年)8月25日、従五位下・佐渡守に叙任する。天保の大飢饉により領内で大飢饉が起こると、その救済に尽力した。しかし家臣の一部に不逞な輩がいたことが原因で、天保10年(1839年)に領内で一揆が起こった。これを鎮めるために尽力していた翌年10月23日、失意のうちに20歳で死去し、跡を養嗣子の長国(松平光庸の長男)が継いだ。墓所は佐賀県唐津市の近松寺。
父母
養子
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