小松行正

ウィキペディアから

小松 行正(こまつ ゆきまさ[1] / ゆきただ[2]1862年6月8日文久2年5月11日[1])- 1908年明治41年)11月10日[2])は、明治期の政治家奈良華族貴族院男爵議員。旧名・平松時韶[1]、別名・平松行正[3]

経歴

山城国京都侍従平松時言の八男として生まれる[1][4]。奈良華族・小松家当主、小松八十子(小松行敏長女)の入夫となり、1885年(明治18年)3月2日に家督を継承[1]。同年5月2日、男爵を叙爵した[1][5]

1882年(明治15年)外務属となる[2]1890年(明治23年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、1897年(明治30年)7月9日まで1期在任した[2]

1899年(明治32年)8月11日、協議により入夫離婚して生家の平松家に復籍し[1][6]、その後に分家した[3]

親族

  • 妻:八十子(離縁)
  • 男子:行一(男爵、侍従、鎌倉宮宮司)[1]
  • 長女:祐厚(旧名・直子、平松時厚養女、青山善光寺住職)[7]
  • 二女:誠厚(旧名・貞子、平松時厚養女、感応寺住職)[7]

脚注

参考文献

Wikiwand in your browser!

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.

Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.