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室町時代前期の武将。小早川春平の嫡子。子に小早川持平(嫡子)、小早川教平、小早川満平ほか。沼田小早川氏9代。 ウィキペディアから
小早川 則平(こばやかわ のりひら、応安6年/文中2年(1373年) - 永享5年1月26日(1433年2月16日))は、室町時代前期の武将[1][2]。
沼田小早川氏の当主春平の嫡子として安芸国に生まれる[2]。室町幕府第4代将軍の足利義持に仕え、応永15年(1408年)より朝鮮王朝に使節を派遣、貿易を行う[1]。同21年(1414年)九州探題の渋川満頼を助け、豪族間の調停に努めた[1]。永享4年(1432年)5月には九州探題を交代するよう幕府に提案した[2]。同5年(1433年)死去[2]。所領は当初、嫡子の持平に相続されたが、不孝による悔返によって弟の煕平に与えられたため、兄弟間に争いが生じた[2]。
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