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小山 満雄(おやま みつお、1877年(明治10年)3月9日[1] - 1936年(昭和11年)12月25日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争では第三軍の一員として戦い、のち歩兵第十六連隊長を務めた陸軍少将である。
旧会津藩藩士小山満峻の長男として宇都宮に生まれる。満峻は戊辰戦争後に栃木県に勤務した[2]。小山は陸軍士官学校9期[3][* 1]で、稚松会創立会員の一人[4]。陸士同期では武川寿輔などが同様であった。小山の原隊は歩兵第十五連隊(高崎)、兵科は歩兵であり、1898年(明治31年)6月に歩兵少尉へ任官している。中尉時代に日露戦争に出征し、旅順で二〇三高地の攻略戦に加わった。1904年(明治)37年8月大尉に進級し、奉天会戦では田義屯[* 2]の戦いに功績があった[5]。戦後金鵄勲章を授与される。
戸山学校教官を経て、少中佐時代は歩兵第六四連隊(都城)附[4]、技術審査部審査官、歩兵学校教官、同研究部員[6]、技術審査部議員、騎兵学校御用掛[7]、技術本部御用掛[8]を歴任した。小山は小銃射撃に優れた技量を有していた[5]。
1921年(大正10年)6月28日に大佐へ進級し、新発田連隊区司令官に就任[9]。翌年8月に歩兵第十六連隊(新発田)の連隊長となる。3年弱在任し1925年(大正14年)5月1日、少将へ昇進。同月中に予備役編入となった。 従四位勲三等功四級[5][* 3]に叙されている。
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