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家庭における家事を補助・代行する職業 ウィキペディアから
家政婦(かせいふ)とは、家庭における家事を補助・代行する職業であり、またその仕事を行う女性のことを指す日本国内での呼称である。お手伝いさんとも呼ばれる。なお、男性が行う場合では、家政夫(かせいふ)と呼ばれる。世界的には、家庭内労働者や家事代行者と呼ばれることが多い。
同じく家事労働を行う女性の職業呼称であるメイドや女中と同義語とされることもあるが、特に後述する就業形態や歴史的経緯の面で区別して用いられることが多い。また、ハウスキーパーの訳として家政婦が当てられることもあるが、本来のハウスキーパーはメイドたちを統括する一種の管理職であり、現代の日本語でいう家政婦のイメージとは異なる。
家政婦の業務は伝統的な炊事(あるいはそれに関わる買い物)、洗濯、家屋の掃除などに限定されることが多い。しばしば、乳幼児の育児を業務とすることもある。ほとんどの場合家計等には関与しない。
家政婦の就業に際しては家事経験が最も重要であり、中年以降の既婚女性あるいは寡婦で主婦経験者が主に該当する場合と高度成長期までは中学校または高校卒業と同時に(集団就職を含め)地方出身の娘が花嫁修業(家事見習い)を兼ねお手伝いさんとして主要都市への就職を花形職業とする向きもあった。 これらの女性が、自分の子供が成長したなどの理由によって、自分自身の家庭における家事労働が減少する場合に、家事経験を活かして家政婦に就くという形態がよく見られる。
就業斡旋には、新聞、雑誌など個人的な宣伝や仲介といった経路も見られるが、特に家政婦紹介所(有料職業紹介事業所の一形態。)と称される業者が人材紹介することが多い。
また、プライバシーが重視される現代は住み込みよりも通勤による業務が一般化したため、深夜には業務を行わないことが多い。
19世紀後半から20世紀にかけて、都市部における中流家庭の増加に伴い、伝統的な女中に相当する家事労働力の需要は増加傾向にあった。
一方で、女性の人権意識向上や進学率上昇といった理由により、女中の供給は減少していた。
こうした需給のアンバランスを解消するため、パートタイム労働としての家事労働者が必要とされた。
日本では派出婦という名称の職業が現れ、全国各地に派出婦会という仲介組織が設立された(派出婦会は現在の訪問看護に相当するサービスも供給していた)。派出婦はそれまでの女中のような雇用者との主従関係でなく契約によって業務を行った点、また習熟期間を設けず即戦力となる労働力を供給した点などにおいて、現在の家政婦の原点と考えられる。
その後、日本では日露戦争や第二次世界大戦で夫と死別した寡婦が増加し、その経済的支援という側面からも家政婦斡旋が広がっていった。
1918年10月1日、東京に共同婦人会(派出婦会)ができ、1925年9月、警視庁は、派出婦会取締規則を制定した[1]。
家政婦は家族以外の人間でありながら、家庭内に定期的・恒常的に存在しているという、やや異質な存在である。このことを利用して、家庭内の出来事を客観的に(あるいは野次馬的に)描写する際の視点となるキャラクターとして、家政婦はさまざまな著作物に登場する。
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