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日本の写真家 ウィキペディアから
安齊 重男(あんざい しげお、1939年3月27日[1] - 2020年8月13日)は、神奈川県出身の写真家[2]、アート・ドキュメンタリスト[3]。「現代美術の伴走者」を自称し、国内外の現代美術の現場を写真によって記録した。多摩美術大学客員教授。
1939年神奈川県厚木市生まれ[4]。神奈川県立平塚高等学校の応用化学科を1957年に卒業し、1964年までは日本石油中央技術研究所に務めた[2]。独学で美術に踏み入り、現代美術作家としての道を歩み始める[5]。
転機は1969年、李禹煥の個展を準備中の画廊を訪問した時のことである。持っていたカメラで光景を撮影する姿を見た李が「みんなの展覧会の写真を撮ってくれないか」と声をかけ[6]、以来、同年代の作家たちの作品を35mmフィルムカメラで記録するようになった。後に「もの派」と呼ばれるこの作家たちは、画廊に様々な材料を持ち込み、それらをある状態に設置して作品化する表現を多く用いたが、これらの作品は展示が終了すると後には残らないため、写真での記録が大きな意味を持ったのである[3]。
1970年5月から東京都美術館で開催された「第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ'70)」いわゆる「人間と物質」展の準備に加わる。これは日本で初めて実施された本格的国際展であり、安齋はクリストやリチャード・セラ等海外作家のアシスタントを務めながら、写真での記録を行った。その頃から本格的に写真撮影を専業とするようになり、世界中の現代美術作家、及び美術関係者のポートレイトや形としては残らないパフォーマンス、ハプニング、インスタレーション等の作品を撮影した作品を発表した[7]。李禹煥が「70年代の世界の現代美術は彼の写真があってこそわかる」と評価するように[6]、現在では安齋の写真の中でしか見られない貴重な作品が多数ある[4]。ヨーゼフ・ボイスや草間彌生、村上隆等の撮影も手掛け、中でもイサム・ノグチを撮影したシリーズは著名である。
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