安部理

日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから

安部 理(あべ おさむ、1962年12月19日 - )は、宮城県白石市出身の元プロ野球選手外野手一塁手)。

概要 高千穂大学硬式野球部 監督, 基本情報 ...
安部 理
高千穂大学硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本
出身地 宮城県白石市
生年月日 (1962-12-19) 1962年12月19日(62歳)
身長
体重
184 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1980年 ドラフト4位
初出場 1984年5月11日
最終出場 1999年9月23日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ・監督歴
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経歴

要約
視点

プロ入り前

岩手県大船渡市立第一中学校卒。

進学した東北高等学校では、一塁手として、同期のエース中条善伸らとともに甲子園に4度出場。「東北の掛布」の異名を持つ強打者だった。2年生の時の1979年第51回選抜では1回戦で下関商に敗れる[1]。同年第61回全国選手権も1回戦で済々黌高に大敗[2]。翌1980年第52回選抜は2回戦(初戦)で松江商を破ったが、準々決勝で丸亀商に惜敗[1]。同年第62回全国選手権は、1回戦で瓊浦高のエース本西厚博を打ち崩し勝利。2回戦では後関昌彦のいた習志野高を完封で下すが、3回戦で浜松商に逆転負け[2]。中条以外の高校同期に三塁手佐藤洋がいた。

1980年度ドラフト会議で、西武ライオンズから4位指名を受けて入団。

西武時代

入団後は二軍暮らしが続いたが、1983年にはアメリカマイナーリーグのサンノゼ・ビーズへの野球留学(秋山幸二駒崎幸一白幡隆宗らと共に留学した)。1987年は5月から一軍に定着、6月13日の対南海ホークス戦でプロ入り初本塁打となる満塁本塁打を放つ。主に左翼手右翼手として62試合に先発出場。同年の日本シリーズでは全6試合に左翼手として先発し19打数6安打1打点。第5戦からはAK砲の後続の5番打者を任され、チーム日本一に貢献した。1988年は開幕から5番打者として起用され、指名打者も兼ね90試合に先発。同年の初アーチも満塁本塁打を放つなど、チャンスに強いバッティングを遺憾なく発揮し、一躍全国のファンに名前を売った。しかし1989年には吉竹春樹が台頭、出場機会が減少する。その後は低迷が続くが、1992年には復活。開幕から左翼手として起用され73試合に先発出場を果たす。1994年には打率.348を記録、同年まで準レギュラーとして活躍するが、チームの若返りに伴い1996年シーズンオフに戦力外通告を受けた。

西武では外野手、指名打者、代打として黄金時代を支えた。ペナントレースでは不振でも、日本シリーズでは打ちまくり「シリーズ男」と言われた。特に巨人桑田真澄に強かった。

近鉄時代

1996年シーズンオフに近鉄バファローズの入団テストを受けて合格。単身赴任で球団寮に入寮し若手選手の手本となり、1997年は打率.301の好成績を挙げ復活した。近鉄では主に一塁手代打として活躍、吉岡雄二が台頭した1999年シーズン限りで現役を引退。現役最終試合は9月23日の西武ドームにおける古巣・西武戦であり、試合終了後、西武・近鉄両軍ナインが安部を胴上げして18年間にわたる現役生活への別れを労った。その為、この胴上げは多くのプロ野球ファンを感動させた。

引退後

その後、プロ野球マスターズリーグの東京ドリームスに所属。

2005年からは東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアコーチとして選手・コーチとともに仙台市を中心とした小学校への訪問を行ったり、 「楽天イーグルス・BASEBALL SCHOOL」の常勤講師や、同球団が東北各地で主催する少年野球塾の講師などとして活動。その他、スカイ・A楽天イーグルスTVインターネット放送)での解説を担当した。

2010年より楽天の一軍打撃コーチ補佐に就任したが、総得点やチーム打率がともにリーグ最下位に低迷するなど打撃面で成績を残せず、7月25日付で礒部公一二軍育成コーチ(打撃担当)と入れ替わった。2011年は二軍打撃コーチを務めていたが、5月15日付で二軍育成コーチ(打撃担当)に配置転換となりシーズン終了後に退任[3]

2012年から西武の一軍打撃コーチに就任[4]2013年10月15日に球団から来季の契約を結ばない事が発表される[5]。2014年より韓国プロ野球高陽ワンダーズのコーチに就任する。

2015年から韓国・ハンファ・イーグルスの二軍打撃コーチに就任。同年10月8日に来季の契約を結ばないことが明らかになった[6]2017年4月から高千穂大学硬式野球部監督に就任。

人物

現役時代の愛称は「エビイ」(ローマ字で「ABE」と書くことから)[7]。野球留学中はサム(Sam)という英語名が付けられていた(名前の「理(おさむ)」から、和田博実が命名)。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1984 西武 1732282300030001030041.107.194.107.301
1985 2328261200021000110060.077.107.077.184
1987 832282032755627862642331831375.271.329.424.753
1988 107361319398417381314913823131577.263.329.411.739
1989 35938411206113191100910183.238.312.369.681
1990 34756221331018622211000121.210.315.290.605
1991 43766361221325910001300101.190.329.397.726
1992 84248220245417079225031125112910.245.324.418.742
1993 9019317416471005721720001712287.270.342.414.756
1994 92217201277019331043322021410326.348.387.517.905
1995 32484725001840000110182.106.125.170.295
1996 6870000001000000112.000.125.000.125
1997 近鉄 8119517316521102692422041810273.301.359.399.758
1998 721601441736901481220021311192.250.313.333.646
1999 1721212500051100000062.238.238.238.476
通算:15年 8161983177219245810011386942171815151617313730452.258.324.392.716
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記録

背番号

  • 36 (1981年 - 1985年)
  • 6 (1986年)
  • 25 (1987年 - 1996年)
  • 38 (1997年 - 1999年)
  • 55 (2000年)
  • 76 (2010年 - 2011年)
  • 72 (2012年 - 2013年)
  • 71 (2014年)
  • 73 (2015年)

脚注

関連項目

外部リンク

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