太平記評判秘伝理尽鈔
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『太平記評判秘伝理尽鈔』(たいへいきひょうばんひでんりじんしょう)は、江戸時代に広まった『太平記』の注釈書である。40巻。
『太平記評判秘伝理尽鈔』 | ||
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著者 | 大運院陽翁 | |
ジャンル | 注釈書 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
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近世初期に日蓮宗の僧侶、大運院陽翁(1560-1622年?)がまとめたものとみられる[1]。『太平記』の本文に沿って、奥義を伝授するもので、「伝」(本文にない異伝)と「評」(軍学、治世などの面から本文を論評した部分)から成る。
「武略之要術、治国之道」とされ[2]、藩政を担う武士を対象に秘伝として伝えられた。写本が金沢藩(前田家)の尊経閣文庫や岡山藩の池田家文庫などに残っている。大運院陽翁が寺沢広高(唐津藩主)に伝授したという奥書のあるものが17世紀半ばに刊行され[3][注 1]、広く普及した。
『理尽鈔』と同種の書も複数刊行された。『太平記大全』(1659年)は、『太平記』と『理尽鈔』の全文を収め、注釈と人物の略伝を補ったものである[4]。
水戸藩が『大日本史』編纂のためにまとめた『参考太平記』(1691年)は、『理尽鈔』の史料的価値を否定し、「論ずるに足りず」としている[5]。明治以降の近代史学でもほとんど顧みられず、亀田純一郎は1931年の論文で「末節に拘泥し陳腐に流れ、読むに堪へないものが多い」と評している[6]。
1980年代以降、文学研究者によって『太平記』受容史上の意義が指摘され[7]、本書の研究が進んだ。若尾政希は安藤昌益研究を進める中で、昌益が『太平記大全』を読み、抜粋ノートを作成していたこと、昌益の思想に『理尽鈔』の影響が見られることを解明し、さらに『理尽鈔』が「近世の政治思想と民衆思想を解明するうえで重要である」と論じている。
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