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1964年にデビューし、重量級ながら果敢なイン戦と豪快なツケマイでファンを驚嘆、魅了してきた[1]。
1993年は、物凄く調子の良い年で、年間の優出回数が26回を数え、年間の最高優出記録を打ち立てた[2]。重量級のためランナ-戦を走ることが多かったが、大森曰く「実を言うとランナは好きではなかった。ランナよりもハイドロで活躍したい」と思っていた[2]。ランナ戦の頃に流行っていた全速ターンをハイドロに取り入れていたので、スピードで勝っていた[2]。ランナよりもハイドロで活躍したいという気持ちは、岡山の同僚の影響が大きく、若手の頃には村上一行・黒明良光・林通と一緒に「岡山ヤング会」を作って、櫃石島で泊まり込みのキャンプなどをやっていた[2]。若い頃からの友達がSGで優勝するのを見て「俺も負けられない」という気持ちがずっとあり、1994年に下関・中国地区選で優勝し、このレースで良いプロペラが完成したため、自信を持って第29回総理大臣杯競走(平和島)に参戦[2]。優勝戦は中道善博がインからコンマ08のスタートで先手を取ったが、大森が2コースから得意の全速を決めて勝った。大森は全速とは思わなかったが、松田雅文の差しも寄せ付けず、自身唯一で悲願のSG制覇を決めた[2]。勝った時は「やっと友達と同じ立場に立てた」と思い、選手生活で一番充実していた時期となった[2]。
2004年には第5回競艇名人戦競走(住之江)で3号艇2コース進入からまくりを決め、原田順一・林貢・桑原淳一を抑えて最後のGIタイトルを獲得[3]。これが結果的に最後の優勝ともなり、2006年4月6日の丸亀一般戦「日本モーターボート選手会会長杯」で長岡茂一・西島義則と共に優出したのが最後の優出(5号艇3コース進入から4着)となった[4]。同29日の浜名湖一般戦「みどりの日スペシャル ネイチャーアタック」3日目6Rで5号艇ながらインから逃げ切って通算2729勝目を挙げ、これが最後の勝利[5]となった。5月6日の丸亀一般戦「蓬莱杯争奪GW大賞」4日目11Rスマイル選抜が最後の出走[6]となり、2007年引退。
※太字はSGレース
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