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大日本軌道(だいにっぽんきどう、英文社名:Dai-Nippon Light Railway Co., Ltd.[5][6][注 2])は、甲州出身の実業家・雨宮敬次郎が経営していた軽便鉄道会社。「大軌」とも略される[注 1]。
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | 大軌[注 1] |
本社所在地 | 東京府東京市京橋区築地3丁目[1] |
支社所在地 |
小田原支社 神奈川県足柄下郡小田原町[1] 伊勢支社 三重県津市山元馬場屋敷[2] 熊本支社 熊本県熊本市宮内町[2] |
設立 | 1908年(明治41年)7月28日[3] |
解散 | 1920年(大正9年)7月1日[4] |
業種 | 鉄軌道業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業 |
代表者 |
社長 雨宮豊次郎[1] 小田原支社長代理 保坂良澄[2] 伊勢支社長 若原鐐太郎[2] 熊本支社長 犬飼真平[2] |
歴代社長 |
雨宮敬次郎(初代社長) 雨宮亘(2代社長) |
公称資本金 | 3,000,000円[1] |
特記事項:上記データは1920年(大正9年)現在[1]。 |
1906年(明治39年)に公布された鉄道国有法によって、これまで雨宮敬次郎が投資してきた鉄道事業は地方交通が対象になると見て1908年(明治41年)に設立された。
1911年(明治44年)1月に雨宮が死去し、各支社は独自色を強めつつも、1910年(明治43年)8月の軽便鉄道法施行後の流行の波に乗り、全国規模で地方中小都市の近郊に地元小資本家からも出資を募りながら軽便鉄道を建設した。
また、鉄工部では主に小型蒸気機関車の製造を行なっていた。1919年(大正8年)に、それを母体に雨宮製作所が発足した。なお各支社の路線のうち過半数は廃線となったが、静岡、浜松、広島支社の路線は改軌・電化などの変遷を経て、今もなお営業中である。各支社のその後は以下の通り。
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