大徳郡(テドクぐん、だいとくぐん、朝鮮語: 대덕군)は、1935年10月1日から1988年12月31日まで存続していた忠清南道の郡。本項では前身にあたる大田郡朝鮮語: 대전군)についても記述する。

行政区画

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1914年現在
町・里区・面洞・里
大田面本町の一部、本町の一部、春日町の一部、栄町大田広域市
東区
元洞、仁洞、中洞、貞洞
春日町の一部大田広域市
中区
銀杏洞
外西面大寺里の一部、大寺里の一部、芙沙里の一部、芙沙里の一部、鉢岩里、方丑里、石橋里、虎洞里、玉渓里、中村里大寺洞、大興洞、芙沙洞、文昌洞、宣化洞、牧洞、石橋洞、虎洞、玉渓洞、中村洞
弘道里、佳陽里、蘇堤里の一部、蘇堤里の一部、連孝里の一部、連孝里の一部、山所里、大洞里、新大里の一部、新大里の一部、加午里、龍坊里、三丁里、大城里、外川里の一部、外川里の一部大田広域市
東区
弘道洞、佳陽洞、蘇堤洞、紫陽洞、三省洞、城南洞、板岩洞、大洞、新安洞、新興洞、加午洞、龍雲洞、三丁洞、大城洞、孝洞、泉洞
東面馬山里、孝坪里、稷洞里、細川里、飛龍里、注山里、新上里、新下里、龍渓里、沙城里、内塔里、舟村里、梧洞里、秋洞里、新村里馬山洞、孝坪洞、稷洞、細川洞、飛龍洞、注山洞、新上洞、新下洞、龍渓洞、沙城洞、内塔洞、舟村洞、梧洞、秋洞、新村洞
山内面二沙里、大別里、朗月里、九到里、三槐里、下所里、上所里、長尺里、小好里二沙洞、大別洞、朗月洞、九到洞、三槐洞、下所洞、上所洞、長尺洞、小好洞
無愁里、旧完里、木達里、政生里、砧山里、於南里、錦洞里大田広域市
中区
無愁洞、旧完洞、木達洞、政生洞、砧山洞、於南洞、錦洞
柳川面柳川里、安永里、沙亭里、唐垈里、果礼里、平里の一部、平里の一部、龍頭里の一部柳川洞、安永洞、沙亭洞、山城洞、文化洞、五柳洞、太平洞、龍頭洞
佳状里、内洞里、槐亭里、炭坊里、屯山里の一部、屯山里の一部、月坪里、葛馬里、正林里、桃馬里、龍頭里の一部、辺洞里、福守里、三千里大田広域市
西区
佳状洞、内洞、槐亭洞、炭坊洞、屯山洞の一部、万年洞、月坪洞、葛馬洞、正林洞、桃馬洞、龍汶洞、辺洞、福守洞、屯山洞の一部
杞城面黒石里、梅老里、山直里、壮安里、坪村里、五洞里、牛鳴里、元亭里、龍村里、鳳谷里、佳水院里、道安里、槐谷里、関雎里黒石洞、梅老洞、山直洞、壮安洞、坪村洞、五洞、牛鳴洞、元亭洞、龍村洞、鳳谷洞、佳水院洞、道安洞、槐谷洞、関雎洞
鎮岑面南仙里鶏龍市
新都案面
南仙里
内洞里、校村里、大井里、龍渓里、鶴下里、鶏山里、城北里、細洞里、松亭里、芳洞里大田広域市
儒城区
元内洞、校村洞、大井洞、龍渓洞、鶴下洞、鶏山洞、城北洞、細洞、松亭洞、芳洞
儒城面九城里、魚隠里、弓洞里、鳳鳴里、新興洞、上垈洞、九岩里、場垈洞、伏龍里、徳明里、甲洞里、老隠里、竹洞里、智足里九城洞、魚隠洞、弓洞、鳳鳴洞、元新興洞、上垈洞、九岩洞、場垈洞、伏龍洞、徳明洞、甲洞、老隠洞、竹洞、智足洞
炭洞面新城里、柯亭里、道龍里、長洞里、坊峴里、花岩里、徳津里、下基里、秋木里、自雲里、新峰里、外三里、案山里、水南里、盤石里新城洞、柯亭洞、道龍洞、長洞、坊峴洞、花岩洞、徳津洞、下基洞、秋木洞、自雲洞、新峰洞、外三洞、案山洞、水南洞、盤石洞
九則面鳳山里、松江里、今古里、垈洞里、金灘里、新洞里、屯谷里、九龍里鳳山洞、松江洞、今古洞、垈洞、金灘洞、新洞、屯谷洞、九龍洞
内南面龍田里大田広域市
東区
龍田洞
比来里、宋村里、中里、法洞里、梧井里、大禾洞、邑内里、蓮丑里、新垈里、瓦洞里大田広域市
大徳区
比来洞、宋村洞、中里洞、法洞、梧井洞、大禾洞、邑内洞、蓮丑洞、新垈洞、瓦洞
北面文坪里、木上里、坪村里、新垈里、上書里、徳岩里、石峰里の一部、石峰里の一部、龍湖里、長洞里、渼湖里、三政里、芙水里、葛田里、梨峴里、黄湖里文坪洞、木上洞、坪村洞、新一洞、上書洞、徳岩洞、石峰洞、新灘津洞、龍湖洞、長洞、渼湖洞、三政洞、芙水洞、葛田洞、梨峴洞、黄湖洞
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1914年の行政区画[1]と現在の行政区画の比較

沿革

大田郡

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府令第111号
旧行政区画新行政区画
懐徳郡山内面の一部、外南面の一部大田面
懐徳郡山内面の一部山内面
懐徳郡内南面、県内面、西面の一部内南面
懐徳郡外南面の一部外南面
懐徳郡一道面の一部、周岸面、東面東面
懐徳郡一道面の一部、北面北面
懐徳郡柳等川面、川内面柳川面
懐徳郡炭洞面炭洞面
懐徳郡九則面、西面の一部九則面
鎮岑郡北面、西面鎮岑面
鎮岑郡東面、上南面、下南面杞城面
公州郡県内面儒城面
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朝鮮総督府令第111号
  • 鎮岑面・杞城面・柳川面・儒城面・内南面・炭洞面・九則面・外南面・大田面・山内面・北面・東面
  • 1917年10月1日 - 内南面が懐徳面に改称。[3](12面)
  • 1931年4月1日 - 大田面が大田邑に昇格。[4](1邑11面)
  • 1932年 - 忠清南道道庁が公州より移転。

大徳郡

  • 1935年10月1日(11面)[5]
    • 大田邑が大田府に昇格・分離。
    • 大田郡の残り地域は大徳郡に改称。
  • 1940年11月1日 - 大田府拡張による行政区画調整。[6](10面)
    • 柳川面の柳川里・唐垈里・沙亭里・平里および龍頭里の一部、外南面の弘道里・佳陽里・蘇堤里・連孝里・山所里・龍坊里・石橋里・中村里が大田府に編入。
    • 外南面の三丁里・加午里・虎洞里・玉渓里・大城里が山内面に編入。
  • 1963年1月1日 - 柳川面全域および懐徳面の大禾里・梧井里・龍田里、山内面の玉渓里・加午里・三丁里・虎洞里が大田市に編入。[7](9面)
  • 1973年7月1日(2邑7面)[8]
    • 北面が新灘津邑に昇格。
    • 儒城面が儒城邑に昇格。
  • 1983年2月15日(1邑6面)[9]
    • 儒城邑および九則面・炭洞面・杞城面・鎮岑面の各一部が大田市中区に編入。
    • 懐徳面が大田市東区に編入。
  • 1987年 - 鎮岑面の一部が大田市東区に編入。(1邑6面)
  • 1989年1月1日 - 以下の変更により、大徳郡は廃止。[10]
    • 東面および山内面の朗月里・大別里・二沙里・大城里・長尺里・小好里・九到里・三槐里・上所里・下所里が大田直轄市東区に編入。
    • 山内面の無愁里・旧完里・砧山里・木達里・政生里・於南里・錦洞里が大田直轄市中区に編入。
    • 杞城面が大田直轄市西区に編入。
    • 新灘津邑が新設の大田直轄市大徳区に編入。
    • 九則面炭洞面および鎮岑面の大部分(南仙里を除く)が新設の大田直轄市儒城区に編入。
    • 鎮岑面の南仙里が論山郡豆磨面に編入。

脚注

関連項目

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