大峰山
奈良県の山 ウィキペディアから
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大峰山(おおみねさん)は、奈良県の南部にある山。大峯山とも。 現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ)を指す。歴史的には「大峰山」は、大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々の呼び名であった。対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という。歴史的に使われてきた呼称および修験道の信仰では、青根ヶ峰より南を「大峯」、以北を吉野としてきた[1]。
この一帯は1936年(昭和11年)に吉野熊野国立公園に指定され、1980年(昭和55年)にはユネスコの生物圏保護区(ユネスコエコパーク)に登録(登録名:大台ケ原・大峯山・大杉谷)[2]、さらに2004年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として、史跡「大峯山寺」「大峯奥駈道」ほかが登録された。大峯寺は女性の入山を禁止する女人禁制を採っているが、国立公園内の公道であるため、法律違反であり、人権的に不当である、と改善運動が起きている。[要検証]
吉野から熊野に至る大峯奥駈道は、古来の自然信仰と渾然一体となった中国渡来の神仙思想や道教、仏教の修行のために、藤原京や平城京からこの地を訪れた僧侶(修験者)によって切り開かれたことに始まり、飛鳥時代の終わり頃の文部天皇の時期に役小角によって開山された[3]。熊野修験が勢力を伸ばす中で長久年間(1040年 - 1044年)に修験者(義叡、長円)により熊野から吉野までの大峯奥駈道が体系付けられた。山伏が大峯で修行することを「峯(みね)入り」「入峯(にゅうぶ)」と言い、熊野から吉野へ抜けることを「順峯」、吉野から熊野まで詣でることを「逆峯」と呼んでいる。室町時代以降、京都などに近い吉野から入山する逆峯が多くなった[4]。
大峯山は役小角を開祖とする修験道の根本道場とされ、奈良県の山上ヶ岳は現在でも女人禁制を守っている[5]。
深田久弥の随筆『日本百名山』やそれを元にした各種一覧表では、大峰山 (1,915 m) とあるが、これは広義でいう大峰山の最高峰「八経ヶ岳」(八剣山)の標高である。『日本百名山』において深田久弥は山麓の吉野郡天川村洞川(どろがわ)から山上ヶ岳に登った。宿坊で泊まり翌朝山頂に立つとそこから南へと大峰山脈縦走路(大峯奥駈道)に入り大普賢岳、行者還岳を経て夕方に弥山(みせん)の山小屋に着き、翌朝に近畿の最高地点である八経ヶ岳の山頂に登った。縦走路はさらに南へ続くが大峰山最高峰到達に満足し山を下ったとされる。
大峰山の麓、天川村には日本三大弁財天の一つ(異説もあるが)で古い歴史を持つ天河大弁財天社があり、弥山の山頂にはその奥宮がある。
1984年(昭和59年)8月、大峰山寺の解体修理に伴う外陣回りの発掘調査で、山岳宗教史上の大発見として黄金仏2体が検出された。
奈良県吉野郡天川村に位置する。標高1,719 mで日本三百名山。
この一帯は古くから修験道の山として山伏の修行の場であった。道場としての大峯山は、単独の山を指す名前ではなく吉野山から熊野へ続く長い山脈全体を意味している。その中でも山上ヶ岳(旧名:金峯山)の頂上付近には修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂があり、山全体を聖域として現在でも女人禁制が維持されている。山上ヶ岳へ通じる登山道には、宗教上の理由により女人禁制である旨を伝える大きな門があり(女人結界門 北緯34度16分04秒 東経135度54分50秒)、1300年の伝統を守るための協力を依頼した看板が設置されている(これに反対する動きについては女人禁制を参照)。しかし、1929年(昭和4年)には既に女性が登山していたとされ、一部では入れるようになったともいわれる[6]。
1007年(寛弘4年)8月、藤原道長が大峯山の山頂である山上ヶ岳に、自筆の妙法蓮華経、無量義経、観普賢経、阿弥陀経、弥勒上生下成仏経、般若心経など併せて十五巻を銅の筺に納めて埋経した。これに倣った貴族の大峯登拝と埋経が盛んになった。また、道長は1011年(寛弘8年)に御嶽精進をはじめるが、触穢(しょくえ)によって大峯山詣を中止した。道長の埋経は出土しており、大峯参詣の記録を含む日記『御堂関白記』も伝わっている。ちなみに藤原頼通、藤原師通も登山しており、師通は、日記『後二条師通記』に登拝の記録を残している。
山上ヶ岳の麓には門前町として洞川温泉の集落があり、参拝者のための旅館が立ち並んでいる。洞川から大峯大橋までは道路(奈良県道21号大峯山公園線)が整備されて、すぐそばの女人結界門から山頂まで参道が設けられているが、鎖場を登る長く険しい山道が続く。
奈良県吉野郡天川村に位置する。標高1,726 m.
大日山と稲村ヶ岳の2峰がある。山上辻に稲村ヶ岳の山小屋がある。亜高山植物に富む。
山上ヶ岳では女人禁制が維持されているが、その隣に位置する稲村ヶ岳では、女性信者のための修行の場として1960年(昭和35年)より開放されており、「女人大峯」とも呼ばれる。
奈良県吉野郡天川村と上北山村の境界に位置する。標高1,915 m.
八経ヶ岳(八剣山、または仏経ヶ岳)は近畿地方の最高峰で、トウヒやシラベの原生林に覆われている。また初夏にはシャクナゲやシロヤシオが咲き、7月初旬には国の天然記念物オオヤマレンゲが咲く花の山となる。
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水場が遠い小屋や、トイレがない小屋も多い。新しい小屋もあれば老朽化した小屋もあり、また、秋は水場が涸れたり冬期は閉鎖されたりする小屋もある。水場までの所要時間は下りの時間であるので、帰りは登りとなり1.5倍ほど時間がかかることが多い。
南奥駈の3避難小屋は新宮山彦ぐるーぷの管理で、1人1泊2,000円を小屋内の納付箱に納めることになっている。
太平洋戦争中の1945年6月1日、大阪大空襲から帰還途中であった米軍のB-29が日本軍機に攻撃され、山上ヶ岳の中腹に墜落した[7]。搭乗員11人のうち、4人はパラシュートで脱出して捕虜となり、大阪の憲兵隊司令部に連行され、玉音放送が流れた直後に処刑された[7]。戦後のアメリカ軍による調査では、2名は射殺、1名は毒殺、1名は死因不明と報告されている[8]。天川村立資料館には2006年に回収されたB-29のエンジンが展示されている。
1999年、僧侶の塩沼亮潤が『大峰千日回峰行』を達成した[9]。この修業は、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂から24㎞先の山上ヶ岳頂上にある大峯山寺本堂まで、往復48km、高低差1355mの山道を1000日間歩き続けるもの[9]。大峰山1300年の歴史でこれを達成したのは2人のみである[10]。
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