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明治期の大蔵・内務官僚 ウィキペディアから
大塚 貢(おおつか みつぐ、1850年1月18日(嘉永2年12月6日)[1] - 没年不詳)は、明治期の大蔵・内務官僚。官選茨城県知事(未赴任)。旧姓・池上。
肥後国熊本で熊本藩士・池上貞雄の三男として生まれ、大塚郁太郎の養子となる[1]。
明治5年(1872年)、白川県十五等出仕に任官。以後、福岡県第三課長、山口県収税長、東京府収税長などを歴任[2][3]。1896年11月1日、司税官・東京税務管理局長(初代)に就任[3][4]。その後、名古屋税務管理局長を経て、1898年11月28日、内務省に転じ北海道庁事務官・内務部長に就任[5]。1905年4月19日、北海道庁官制の改正に伴い、内務部長が第一部長に改称された[6]。
上司の園田安賢長官と関係を深め、園田と進退を共にして同時に辞表を提出[3]。1906年12月20日、茨城県知事に発令されたが[2]、辞意が固く再び辞表を提出し、1907年1月11日に依願免本官となり退官した[3][7]。その後、実業界に転じた[3]。
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