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山形県西村山郡三泉村(現・河北町)出身。2歳年少で1999年に『孫』で一世を風靡した大泉逸郎とは、生家が近く、子供の時から「民謡少年」としてよく知られていた。
1959年、山形県立谷地高等学校卒業後に上京し、当時民謡歌手の代名詞的存在だった初代鈴木正夫に入門。1966年、キングレコード専属歌手となり、山梨県民謡『甲州盆唄(通称・市川文殊)』、『正調粘土節』でデビューした。
1977年に発売した『祝賀の舞』は120万枚[1]を売り上げる大ヒット曲となった。ピーク時には毎月5000枚~7000枚が売れ、2002年時点でも毎年3000枚前後を出荷しているという[1]。
1980年代のいわゆる「民謡ブーム」にも孤高を守り、民謡専門の番組以外はほとんど出演しなかった。現在も各地でリサイタルを開き、また、民謡道場を主宰して、後進の指導に励んでいる。
歌唱は、非常にキーが高く、高音域ではファルセット(裏声、仮声)を使い、歌詞を大切にした歯切れのよい歌いぶりで知られている。
また三橋美智也を尊敬しており、NHK総合の『ふたりのビッグショー』で細川たかしと共演(1994年4月4日放送)した際にも三橋の代表曲である『武田節』や『星屑の町』を歌っている。ちなみに共演した細川は三橋の弟子にあたる。
テレビ出演時に特に人気なのは『会津磐梯山』である。
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