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日本の実業家 ウィキペディアから
大原 孝四郎(おおはら こうしろう、1833年12月12日(天保4年11月2日) - 1910年(明治43年)7月6日)は、日本の実業家。大原孫三郎の父。
岡山藩士藤田傳吉の三男として生まれる。1858年(安政5年)に備中国窪屋郡倉敷村の庄屋・豪商大原壮平の養嗣子となり、幼名幸三郎を孝四郎と改名。儒学者森田節斎の簡塾、犬飼松窓の三餘塾に学んだ[1]。呉服、繰綿、米、金融を手広く営むとともに大地主であり、学問、絵、書を好む文化人でもあった。
1888年(明治21年)に倉敷紡績所(クラボウ)の初代社長に就任すると、養父壮平が森田節斎から学んだ謙受説を社訓とした。これは「満は損を招き、謙は益を受く」という思想で、常にへり下った気持ちで、より高いものを求めて努力すべし、という内容であった[2]。また、社章としてその精神を表す「二三印」を採用した。これは現在もクラボウ、クラレにおいて使用されている[3]。
1891年(明治24年)7月15日には資金調達を円滑にするため倉敷銀行(中国銀行の前身の一つ)を設立し、頭取に就任する。
1906年(明治39年)、倉敷紡績社長および倉敷銀行頭取を退任した。
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