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大区小区制(だいくしょうくせい)とは、日本の明治時代に施行された地方制度である。
従来の小規模の町村では効率的な行政が実施できないため、町村を大区・小区に再編成したものであった[1]。府県の下に大区を置き、大区の下に小区を置くことを基本とするが、実際は府県によって様々である。例えば「第9大区6小区」など、数字で行政区域が表された。
まず単一区制を取ってから大区小区制に切り替えた県が多いものの、当初から大区小区制を採用した県、中途で単一区制に転換した県、一貫して単一区制を採った県など、様々である。また形式上は大区小区制を採っていても、大区、小区、またはその双方に役人が置かれず、有名無実のものとなった県も数多い。[6]
大区小区制には明治新政府による「人目一新、旧弊除去」の意図があるとされているが、実際にその狙い通りに施行されたとは限らず、現実には様々な妥協が行われた。旧来の郡を無視して区画した県もあれば、郡を基礎として区分した県もあり、さらには旧来の支配構造(改革組合など)をほぼ温存した県もある。井戸庄三は以下の3類型に分類できるとしている[6][7]
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直接の目的とした戸籍編製は壬申戸籍に結実したが、大区小区制は不評であった。旧来地域の様々な問題を自治的に解決してきた町村を否定して、代わりに中央の命令の伝達と施行のみを行う機関を設けたためである。近代化を急ぐあまり固有の慣習から乖離した、地方の実情に合わない制度であった。
この失敗に対する反省および自由民権運動の高まりにより地方政治への住民の参加を認める必要性が出てきたこと[1]から、明治11年(1878年)に新たに郡区町村編制法が制定され、地方制度の見直しが図られた。
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