多岐篤司
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多岐 篤司(たぎ あつし、1968年5月25日 - )は、島根県生まれ[1]、兵庫県西宮市出身[1]の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
神戸弘陵高への在学中には、阪上雄司(高級生食パン専門店「乃が美」の代表取締役)などと共に硬式野球部でプレー[2]。春夏とも甲子園球場での全国大会と無縁であったが、練習試合でノーヒットノーランを達成した一方で、左打者としても活躍した。
1986年のNPBドラフト会議で、地元球団の阪神タイガースから4位で指名を受けたことを機に入団。入団当初まではオーバースローの本格派投手だったが、一時は打者への転向も検討されていた。後に、投球フォームをサイドスローやスリークォーターに変更するとともに、カーブやチェンジアップを駆使する技巧派投手に変貌。ウエスタン・リーグの公式戦には、救援で頻繁に登板していた。
1988年には、当時アメリカのマイナーリーグ(シングルA)に加盟していたフレズノ・サンズへの野球留学を経て、9月17日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)8回表に左打者・長内孝へのワンポイントリリーフで一軍公式戦にデビュー。
1990年には、開幕一軍入りを果たした。しかし両年とも、一軍公式戦への登板は1試合で、1死を取っただけにとどまった。
1992年に膝の手術を受けた。
1995年限りで現役を引退。阪神には9シーズンにわたって在籍していたが、左肘の故障に悩まされていたこともあって、一軍公式戦への通算登板数はわずか4試合(通算投球イニング5回2/3)だった。
阪神在籍中の1993年に、25歳で結婚。現役を引退してからは、妻の実家が兵庫県尼崎市の公設地方卸売市場で営んでいた「浜光水産」(鮮魚の仲卸会社)の社長[1]や、「RED STAR Baseball Club」(阪神選手としての後輩に当たる赤星憲広主宰の少年野球クラブチーム)で投手コーチを務めていた。しかし、「RED STAR Baseball Club」のコーチ時代に阪上の息子を指導していた縁で、阪上から「乃が美」の新規店のオーナーになることを打診。この打診をきっかけに、当時業績が低迷していた「浜光水産」を廃業したうえで、2017年2月1日から「乃が美 はなれ」神戸三宮店のオーナーを務めている[2]。2019年3月3日の『ゲンバビト』(CBCテレビが当時制作していたTBS系列全国ネット番組)では、オーナーとしての多岐に密着した取材の模様が、「行列のできる『パン屋さん』の秘密」として紹介された[3]。
母校・神戸弘陵高校の女子硬式野球部のコーチも務めている[4]。
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