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滋賀県大津市の町名、地区名 ウィキペディアから
坂本(さかもと)は、滋賀県大津市の町名、地区名。延暦寺および日吉大社の門前町(鳥居前町)として古くから栄えた。現行行政町名では坂本一丁目から坂本八丁目が置かれているほか、広義の坂本には町名変更前の所属であった坂本本町や隣接する下阪本なども含まれる。
坂本は大津市北部にある地域である。日吉大社参道の両側には比叡山の隠居した僧侶が住む里坊が並び、穴太衆積み(穴太積みとも)と呼ばれる石垣が街路を形成している。戦国時代には三好長慶に敗れた室町幕府12代将軍足利義晴・13代将軍足利義輝と細川晴元らが都落ちしてこの地に逃れ(後に朽木村へ移動)、安土桃山時代には明智光秀により坂本城が築城されたが、本能寺の変や続く山崎の戦い後に明智秀満が城に火を放った。
また、坂本では銅銭の鋳造が行われ、江戸時代初期には京銭と呼ばれる流通銭の鋳造が行われて、オランダの商人からは「サカモト」という通称で呼ばれて日本から中国や東南アジアに輸出された。そこに目をつけた江戸幕府も坂本に銭座を設けて京銭に代わる寛永通宝を発行している[6]。
坂本の町並みは地域的特色を顕著に示しているものとして、種別「里坊群」「門前町」で重要伝統的建造物群保存地区として選定されているほか、2004年(平成16年)6月15日、歴史的風土保存区域に指定された[7]。
現在の町名としての「坂本」は、西に隣接し旧滋賀郡坂本村大字坂本を引き継いだ大津市坂本本町より1988年(昭和63年)住居表示施行によって分立したものである。
現行行政町名としての「坂本一-八丁目」の沿革である。坂本地域としての歴史については「坂本本町」、「坂本村 (滋賀県)」も参照のこと。
2019年(平成31年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 10,312人 | [9] | |
2000年(平成12年) | 10,233人 | [10] | |
2005年(平成17年) | 10,233人 | [11] | |
2010年(平成22年) | 10,022人 | [12] | |
2015年(平成27年) | 10,001人 | [13] |
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 3,166世帯 | [9] | |
2000年(平成12年) | 3,326世帯 | [10] | |
2005年(平成17年) | 3,326世帯 | [11] | |
2010年(平成22年) | 3,642世帯 | [12] | |
2015年(平成27年) | 3,886世帯 | [13] |
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]。
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