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坂口 尚(さかぐち ひさし、男性、1946年5月5日 - 1995年12月22日)は、日本の漫画家、アニメーター。東京都出身。
1963年、うさぎのカットを3枚描いて入社試験に合格し[1][2]、定時制高校在学中に虫プロに入社。学業との両立が困難となり、高校は自主退学[3][4]。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』で原画を担当[1][5]。『リボンの騎士』で演出デビュー[1][6]。最終話「シルバーランド幸せに」を含む8話分を担当した[7][8][9]。
虫プロ時代より下駄履き。あえて下駄を履くことで服装や外見で判断する人物を見分けていた。自画像も下駄だった[10][11][12][13][14]。
1969年「COM」9月号SERIES霧の中『おさらばしろ!』で漫画家デビュー[15] し、「COM」の連載と並行して、1970年から1971年にかけて「ぼくらマガジン」に『ウルフガイ』を連載。『ウルフガイ』連載終了後は、アニメーションの仕事のほうが多くなり、漫画は年に数本のみとなった[16][17][18]。
1978年、24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスペシャルアニメ『100万年地球の旅 バンダーブック』で中心的役割を担う。スケジュールが切迫した制作現場では手塚治虫と対立することもあった。仲裁役は現手塚プロダクション社長の松谷孝征だった[19][20][21][22][23]。
1979年、ニューウェーブの波の渦中で[24][25]『たつまきを売る老人』をはじめとするシリーズ「午后の風」を発表、1980年より『12色物語』を連載。その詩的な作風から「短編の名手」[25][26][27]「詩人」[28][29][30] と呼ばれた。
1983年、長編『石の花』連載開始。以後、長編を中心とした執筆活動に入り『石の花』『VERSION』『あっかんべェ一休』の長編3部作を発表[31]。ユーゴスラビアの複雑な環境に世界の縮図をみいだした[32]『石の花』は5度出版されるほどの代表作となった。
一部からは手塚治虫の後継者と目されるも『あっかんべェ一休』の最終話脱稿後、第4巻のカバー校了に立ち合った直後[33] の1995年12月22日に、自宅の浴室にて急性心不全のため死去した[34][35][36]。49歳没。
没後の1996年、遺作となった『あっかんべェ一休』に日本漫画家協会賞優秀賞が贈られた[37]。
2023年には作品『石の花』に対してフランス・アングレーム国際漫画祭の「遺産賞」を贈られた [39] [40]。
アシスタントを使わずひとりで執筆していた[156][128]。「どちらかというと風景が好きで、人物を描きたくない」[157]という発言もある。坂口が描く風景は「現実以上に美しい山であり、川であり、道」[158]「木々の木漏れ陽、地面に落ちた影」[159]「めまいを覚えるような光と影の世界、空、海、雨、木々のざわめき」[160]と高く評価された。『ウルフガイ』では土山よしき、細井雄二がアシスタントを担当し週刊連載を支えた[161]。
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