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1927年に千葉県で生まれ、1948年、北海道帝国大学農学部農業生物学科卒業、1954年、北海道大学大学院理学研究科博士課程修了。
1954年、北大理学部講師。1955年、「ミツバチに於ける視覚学習の知覚心理学的研究」で北海道大学理学博士。1955年、助教授。1961年-1963年ブラジル、パラナ大学研究員、リオクラーロ大学客員教授。1971-72年ブラジル、リベラン・プレト大学客員教授。1976年、ブラジル科学アカデミー会員。1978年北海道大学低温科学研究所教授。
ハナバチ類の比較社会学的研究をし、その進化を論じた。1967年、日本動物学会賞、1992年、朝日賞[1]を受賞[2]。1990年に北海道大学を退官、名誉教授。以後も自宅で研究を続けたが、1996年に自宅で研究中、心筋梗塞で死去。ハチについて数多くの論文、著書を残す[3]。
ハチ・アリ類の社会進化
ハチ類の社会進化に関しては二つのルートが想定されている[3]。
いずれの仮説にもそれを支持する観察事実と対立する観察事実がある。また、血縁淘汰理論は第一の仮説に有利である。当時は、母娘共存から真社会性が進化すること、およびこのルート経由のカスト分化に母親による娘への栄養供給のコントロールが関与していることは広く認められつつあった。そのような中で坂上が問題としたのは、同世代複数個体の共存から始まる社会性の進化がどの程度の役割を果たし、またそれは対等な個体による共同育児(quasisocialな状態)からスタートしたのか、という点であった。坂上らによるツヤハナバチの共存実験は、こうした問題に対する解答を求めての画期的な試みである。彼は、ハナバチの社会性の出現は多機構多起源的であり、subsocialルートもsemisocialルートもあったとするN. LinとC. D. Michenerの意見に与しており、さらにカストの分化には個体間の優劣関係による順位が重要な役割を果たしているだろうという考えを述べている[3]。
独創的で世界的な研究 坂上の研究は当初から独創的であり、世界的であった。このことは、当時の昆虫社会学の最新の知見を網羅したハーバード大学のエドワード・O・ウィルソン(1971)著「The Insect Societies(昆虫の社会)」で、坂上の研究の引用回数は26カ所と、アリ学の泰斗で前記subsocial routeの提唱者であるウィリアム・モートン・ウィーラー(英: W. M. Wheeler)と著者であるウィルソンに次ぐ第3位の引用回数であり、坂上の長年にわたる研究上の師であり友人であったMichenerをわずかに上回っていたことからもうかがえる[3]。
北海道大学在職中およびブラジルの二つの大学滞在中に、多くの大学院生や学外の若手研究者を指導し、そのうちブラジル人ほかの外国人8名を含む34名には博士論文の指導も担当した。その中には、正富宏之(研究対象:鳥類)、川道武男(哺乳類)、Ronald Zucchi(ハナバチ)、山根爽一(アシナガバチ)、大谷剛(ミツバチ)、東正剛(アリ)、片倉晴雄(甲虫)、生方秀紀(トンボ)、戸田正憲(ショウジョウバエ)らも含まれる[2]。
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