在宅障害者の保障を考える会(ざいたくしょうがいしゃのほしょうをかんがえるかい)とは、脳性マヒ者などの重度障害者(主に重度の身体障害者)が、施設や家族の元を離れて地域での自立生活をするために行政に対して、要求をするための当事者団体(障害者団体)である。略称は在障会(ざいしょうかい)。機関誌は『在障会ニュース』。
福祉施設や家族の元を離れて、障害者が地域で自立して生活することを目指す運動が1960年代に始まった。70年代に入ると重度障害者は福祉施設から退所して、地域で自立生活を始めるケースが多く見られた。例えば脳性マヒ者の新田勲や三井絹子は東京都府中市の府中療育センターから退所して、都営住宅で生活を始めている。しかしながら当時は十分な福祉政策が日本にはなかったため、重度障害者の地域での生活は協力者(ボランティア)に頼むことが多かった。ちなみにボランティアの中には全共闘などの学生運動をしていた者も少なからずいたという。
このような状況を改める為、障害者側は様々な社会運動を通して、行政側に福祉政策の創設を訴えていく。その社会運動体として1973年に東京都で「在宅障害者の保障を考える会」が先述の新田、三井らによって東京都内で結成される。この流れに呼応する形で、東京都を中心として、全国各地で社会運動体として、各地の在障会ないしそれに類する団体が立ち上げられていく。詳しくは後述。組織的には各団体がゆるやかに繋がりを持っている形である。
在障会は東京都民生局に「二四時間の日常的世話の介護料,介護者が生活出来るような医療費を含んだ介護料」を要求した。その要求に応える形で都側は「重度脳性麻痺者介護人派遣事業」という制度を1974年に作っている。しかしこの制度は当初は月4回の時間数及び月額7000円の介護料を介護者に渡すのが上限としていたため、障害者側からは「不足している」という声が多かった。そのため、更なる要請、要求を在障会は都などの行政側に繰り返した。こうして、少しずつ時間数や介護料の拡充が図られていった。
「重度脳性麻痺者介護人派遣事業」では、介護を受ける側の障害者が自ら推薦、依頼した介護ヘルパーに対して、行政側から発給された「介護券」を手渡す。介護ヘルパーは介護券を行政の窓口に持ち込むことで、介護料を得ることができるという仕組みである。行政側から直接、介護者に対して介護料を渡すのではなく、そこに介護を受ける障害者が介護券を渡すという形で介在することは「公的制度のなかで人間の『関係』を保障するという,行政から見ればきわめて非合理的で実現困難な,しかし障害者側から見れば自己の自由を最大限に担保する仕組み」[1]であるという。
後に「重度脳性麻痺者介護人派遣事業」は脳性マヒ者以外の障害者も使用できるように改善され、1987年に「重度脳性麻痺者等介護人派遣事業」として対象の拡大がなされた。この制度の受け皿となるべく、各地で介護派遣事業を行う事業所が増えていった。また障害者自身が事業所の運営に参画するケースも多々あり、アメリカで始まった自立生活運動に範をとった団体(自立生活センター,CIL)が日本でも立ち上げられ始めた。この動きは2003年の支援費制度に繋がっていった。各地で立ち上げられた地域で活動する在障会も介護派遣事業を行う事業所の事実上の前身となるケースも多かった。事業所はNPO法人などの法人格を取得していく。
在障会の運動は1976年に全国青い芝の会の会員らが中心となり大阪府で立ち上げられた「全国障害者解放運動連絡会議」(略称:全障連)の中でも続いた。全障連に参加した在障会のメンバーらは全障連の中で、重度障害者に対する広範な公的介護保障の要求を行政側に求める為の団体の創設を求めた。この動きが1984年には「全国公的介護保障要求者組合」につながっている。
- 新田勲(にった いさお) - 1940年~2013年。東京都北区の北区在宅障害者の保障を考える会の会長、全国公的介護保障要求者組合の初代委員長を務める。1972年の府中療育センター闘争の中心人物。三井の兄。
- 三井絹子(みつい きぬこ) - 1945年~。1975年、かたつむりの会を発足させた。国立市のNPO法人ワンステップかたつむり国立代表を務める。1972年の府中療育センター闘争の中心人物。新田の妹。NHKの「戦後史証言プロジェクト日本人は何をめざしてきたのか」2015年度「未来への選択 第6回 障害者福祉~共に暮らせる社会を求めて~私は人形じゃない」に出演。2020年5月28日、参議院国土交通委員会の参考人として出席[2]。
- 猪野千代子(いの ちよこ) - 1936年~1999年。障害者の足を奪い返す会代表を務める。1972年の府中療育センター闘争の中心人物。主な著作に田中美津らが設立したリブ新宿センターの機関紙「リブニュースこの道ひとすじミニ版」(1973年)に掲載された「あたしにとって女とは何か――ある「身体障害者」の手記」がある。
- 村田実(むらた みのる) - 1939年~1992年。東久留米市の東久留米在宅障害者の保障を考える会代表を務める。主な著書に「ある「超特Q」障害者の記録 Murata,Minoru forever 村田実遺稿集」(千書房 1978年)がある。東久留米在障会は、NPO法人自立福祉会の前身である。
- 荒木義昭(あらき よしあき) - 1942年~2016年。練馬区の練馬区在宅障害者の保障を考える会、練馬区介護人派遣センター代表を務める。荒木裁判闘争の中心人物。
- 高橋修(たかはし おさむ) - 1948年~1999年。立川市のNPO法人自立生活センター・立川代表、NPO法人自立生活センター・HANDS世田谷の運営委員、DPI日本会議常任委員を務めた。
- 小山内美智子(おさない みちこ) - 1953年~。北海道札幌市のNPO法人札幌いちご会設立・理事長、社会福祉法人アンビシャス設立者。作家。主な著作に「車椅子で夜明けのコーヒー―障害者の性」(1995年 ネスコ) ISBN 978-4890368914 がある。
- 横山晃久(よこやま てるひさ) - 1954年~。全国障害者介護保障協議会代表、世田谷区のNPO法人自立生活センター・HANDS世田谷事務局長、代表を務める。
- 掛貝淳子(かけがい じゅんこ) - 1954年~。三多摩在障会会員。作家。著書に「サンタクロースは自転車にのって」ネット武蔵野 2002年 ISBN 978-4944237357。
- 野口俊彦(のぐち としひこ) - 1951年~。NPO法人自立生活センター・立川代表。全国初のヘルパー派遣団体のヘルプ協会の設立者
- 加辺正憲(かべ まさのり) - NPO法人ピアサポート・北理事。介護福祉士、荒木義昭や新田勲の専従介助者を勤めた。
- 伊藤みどり(いとう みどり) - 1952年~。女性ユニオン東京、働く女性の全国センター設立者。介護福祉士、ホームヘルパー国家賠償訴訟当該[3]。
- 加藤みどり(かとう みどり) - 1956年~。NPO法人自立生活センター・立川理事、在宅障害者の保障を考える会副代表。山形県米沢市から立川市に移住[4]。
- 川元恭子(かわもと きょうこ) - 1959年~2014年。小平市で小平市在宅障害者の介護保障を考える会代表、全国障害者介護保障協議会設立者の一人。NPO法人自立生活センター・小平代表を務める。
- 益留俊樹(ますとめ としき) - 1961年~。三多摩在宅障害者の保障を考える会・事務局長、田無市の田無市在宅障害者の保障を考える会代表、NPO法人自立生活企画代表、NPO法人自立福祉会代表を務める。)
- 木村英子(きむら えいこ) - 1965年~。全都在宅障害者の保障を考える会代表、全国公的介護保障要求者組合書記長、多摩市のNPO法人自立ステーションつばさ事務局長、参議院議員(れいわ新選組副代表)を務める。
- 藤吉さおり (ふじきち さおり) - 1974年~。多摩市在宅障害者の保障を考える会、多摩市の権利擁護専門部会の部会長、NPO法人自立ステーションつばさ代表[5]。
- 佐々和信(ささき かずのぶ) - 香川県高松市。香川県筋萎縮性患者を救う会。自立支援センター・高松。
- 高浜敏之(たかはま としゆき) - 株式会社土屋社長[6]。
- 障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協)
- 全国ホームヘルパー広域自薦登録協会 - 略称は全国広域協会。旧名称は介護保険ヘルパー広域自薦登録保障協会[7]。全国の障害者団体が共同して2003年に設立。日本全国のどこでも重度障害者が生活できるように活動している。
- 介護保障を考える弁護士と障害者の会 全国ネット - 2012年に立川市で結成。共同代表は野口俊彦(NPO法人自立生活センター・立川代表)と藤岡毅(弁護士)[8]。
- 札幌市公的介助保障を求める会 - 札幌市の団体。
- 土佐市在宅重度障害者の介護保障を考える会 - 高知県土佐市の頸髄損傷者の藤田恵功が代表。1998年ごろに結成。
- 熊本市全身性障害者の介護保障を求める会 - 熊本県熊本市の団体。NPO法人重度障害者介護保障協会(鹿児島県鹿児島市)の田上支朗が代表。
- NPO法人自立生活センター 自立の魂 - 横浜市のNPO法人。2001年結成の「横浜市在宅障害者の保障を考える会」が前身である。
- 障がいのある人もない人も暮らしやすい立川を考える会 - 2009年に障害種別を越えて立川市内の6団体が集まり結成された団体。2013年に「障害のある人もない人も暮らしやすい立川をつくる条例」の請願を立川市議会に提出した。その結果、2017年4月に立川市で「立川市障害のある人もない人も共に暮らしやすいまちをつくる条例」が施行されることとなった。
- 立岩真也・安積純子・岡原正幸・尾中文哉「生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学」藤原書店、のち生活書院 1990年
- 新田勲「足文字は叫ぶ!――全身性障害のいのちの保障を」現代書館 2009年
- 三井絹子 「抵抗の証 私は人形じゃない」三井絹子60年のあゆみ編集委員会、ライフステーションワンステップかたつむり(編集) 千書房(販売) 2006年 ISBN 978-4787300461
- 深田耕一郎「福祉と贈与――全身性障害者・新田勲と介護者たち」生活書院 2013年
- 前田拓也 「<書評> 新田勲編著『足文字は叫ぶ!——全身性重度障害者のいのちの保障を』」障害学研究7 pp.352-358 明石書店
- 山下幸子「介護サービスの制度化をめぐる障害者たちの運動」福祉社会学研究16 学文社 2019年
- 廣野俊輔「自立生活の意味をめぐる3つの立場について--1970年代の議論を中心に」同志社大学社会学会, 96(96)63 - 86, 2011年
深田耕一郎「福祉と贈与――全身性障害者・新田勲と介護者たち」
「重度の障害者と弁護士が連携 介護の充実を求める会結成」東京新聞2012年12月2日