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日本の電子工学研究者 ウィキペディアから
喜安 善市(きやす ぜんいち、1915年12月11日 - 2006年12月7日)は、日本の電子工学研究者。日本のコンピュータ研究における先駆者の一人とされる[1]。日本電信電話公社電気通信研究所次長や、東北大学電気通信研究所教授、電子通信学会副会長、電子通信学会編集長などを歴任。
1939年、東北帝国大学工学部電気工学科を卒業後に逓信省電気試験所(のち、日本電信電話公社電気通信研究所、現・NTT武蔵野研究開発センタ)に入所[1]。搬送用濾波器の研究に従事した[1]。後年手がける自動ディジタル計算機は、この当時膨大な量の数値計算に苦労した経験がその発端となった[1]。戦時研究員として飛行機の無線操縦の研究に携わった際にアナログ計算機に関心を抱いた[1]。
電気通信研究所内でコンピュータ研究を進めるため、1952年に電子計算機研究専門委員会を結成した[1]。委員会では 1954年に高橋秀俊と後藤英一が論理素子パラメトロンを発表する[1]。電子管を計算機から排除することを持論としていた喜安は、素子としてパラメトロンの採用を決定し、1957年にパラメトロンを使用するMUSASINO-1を試作した[1]。1967年電子通信学会副会長[2]。1968年電子通信学会編集長[3]。
電子計算機理論の電話交換機への応用、計算機を介した通信網、計算機による定理証明などの着想も公にした[1][4]。
電子情報通信学会功績賞、情報処理学会25周年記念特別功績賞をはじめ、紫綬褒章、通商産業大臣賞、大川賞、C&C賞など多数の賞を受賞した[5]。
電子通信情報学会では顕著な業績を挙げた者に対して喜安善市賞が授与されていた(平成29年度で終了)[6]。
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