和賀義忠
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和賀 義忠(わが よしただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。陸奥国二子城主。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐に名代を派遣し自らは参陣しなかったため、豊臣政権の奥州仕置により所領没収、居城追放処分となったが、浅野長政らの奥州仕置軍が撤退すると、和賀氏の残党を率いて和賀・稗貫一揆を起こし、二子城を奪取した。
翌年の天正19年(1591年)、蒲生氏郷軍が侵攻し、義忠は逃走した。逃走の途次、落ち武者狩りに遭い義忠は殺害された[1]。
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