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『吉野朝太平記』(よしのちょう たいへいき)は、鷲尾雨工により、楠木正儀を中心にし、当時の珍しい史実を使って作り出された長編歴史小説である。昭和10年(1935年)にすでに完成した第1・2巻で第2回直木賞受賞。後に春秋社として全5巻で刊行された。
吉野朝太平記 | ||
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著者 | 鷲尾雨工 | |
発行元 | 春秋社 | |
ジャンル | 歴史小説 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
形態 | 上製本 | |
ウィキポータル 文学 | ||
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著者鷲尾は生前の直木三十五と交流があった。鷲尾と直木は反目し合っていたということもあり皮肉な受賞となった。
ちなみに、第2回直木賞受賞作は、ほとんどの文献では『吉野朝太平記』としか書かれていないが、正確には、『吉野朝太平記』第一巻・第二巻しかない。第三巻以降が受賞後に刊行されていることもそれを証明できる。
選考委員として菊池寛は春秋社発行の第二巻を読んで感心した。ガッチリした力作で直木の影響があり、直木ほど描写に精彩がなくても構想は直木よりも、しっかりしているという考えを示した。また彼は「とにかく、相当うまいし、史実にしっかり足を付けている点で、異色ある作品であると思う。南北朝末期の乱世のありさまが可なり面白くかけている。」と総括した。
選考委員 | 評語 |
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久米正雄 | 「此の人にして此の努力、作品の出来に就いては云う迄もない。」 |
小島政二郎 | 「これだけの材料を、正面から何のケレンなしに取り組んで、こなしている正攻法的態度に敬意を表す。」 |
佐佐木茂索 | 評言無し |
白井喬二 | 「人は歴史小説というかも知れないが、七分の創作力を、僕は買いたい。」「直木の錯爛情毅の妙に比べ、雨工はあくまでも統絲円熟の迫真力ではこんで行く。」 |
大佛次郎 | 「実際に作者の努力を考えても、異議はない。」 |
菊池寛 | 「何と云っても力作で、売れる当もないのにあゝした長篇を書き上げた努力は、充分認められてもよいと思う。鷲尾君は、直木の旧友で、後不和になっていた人である。直木が生きていたら、直木賞を(引用者注:第一回の)川口君にやることも、鷲尾君に贈ることも、反対したかも知れない。」[1] |
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