古川寛和

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古川 寛和(ふるかわ ひろかず、1965年11月6日 - )は、千葉県出身の元騎手調教助手

概要 古川寛和, 基本情報 ...
古川寛和
基本情報
国籍 日本
出身地 千葉県
生年月日 (1965-11-06) 1965年11月6日(59歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
初免許年 1986年3月1日
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2004年2月29日
2004年2月28日(最終騎乗)
通算勝利 2255戦137勝
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来歴

1986年3月1日中山第2競走4歳未勝利・ハクテンバ(12頭中8着)で初騎乗[1]を果たし、同15日の中山第2競走4歳未勝利でもホウヨウボーイ産駒の同馬[2]に騎乗し2着に9馬身付け、枠連万馬券[3]での初勝利[1]を挙げる[4]12月20日21日の中山では初の2日連続勝利[5]を挙げ、1年目の同年は6勝[6]をマーク。

3年目の1988年には初の2桁となる13勝[6]をマークし、1989年には8月5日新潟で1日2勝[7]を挙げ、1991年まで4年連続2桁勝利[6]を記録。

1990年には京成杯で1番人気のクロスキャストに騎乗して逃げたものの4着[8]に終わったが、1991年11月17日東京第7競走4歳以上500万下ではマルゼンスキー産駒でホウヨウボーイの半弟のゴルギアスで逃げ切った[9]

1992年には9月6日の新潟第6競走4歳未勝利で16頭中13番人気のクレストボーイに騎乗し、7番人気で逃げ切ったフジノアウトバーンの2着に粘って馬連万馬券を演出[10]11月8日の東京第3競走3歳新馬では翌年のオークス5着馬でシービークロス産駒グランドクロスで勝利し[11]、2桁には届かなかったが8勝[6]をマーク。

1993年には福島戦7勝、新潟戦5勝、小倉戦2勝とローカルのみの勝ち星[12]で2年ぶりの2桁勝利となる14勝[6]をマークしたが、1994年には初めて0勝[6]に終わる。

1995年5月20日の東京第7競走4歳500万下・マイネルアイオロスで通算100勝[13]を達成し、1996年には3年ぶり最後の2桁勝利で自己最多の19勝[6]をマーク。

1999年には第1回新潟ジャンプステークス・リマインドシルクで6年ぶりの重賞騎乗[14]を果たし、10着に終わったが、後に2年連続でJRA賞最優秀障害馬に選出されるゴーカイに先着した[15]9月12日の中山第7競走3歳新馬では15頭中12番人気のホワイトパワーで14番人気ワカセイウンのクビ差2着に入って枠連5万・馬連6万馬券[16]の波乱を起こすが、5年ぶり2度目の1年0勝[6]に終わる。

2001年にはNHKマイルカップ・スマッシュキング(18頭中11着)で自身唯一のGI騎乗[14]を果たしたが、2002年には3年ぶり3度目の0勝[6]に終わる。

最後の騎乗となった2004年2月28日の中山第5競走障害4歳以上未勝利・アルファダンジグを勝利で飾り[17]翌29日付で現役を引退[4]

引退後は加藤和宏厩舎の調教助手[18]

騎手成績

さらに見る 通算成績, 1着 ...
通算成績1着2着3着4着以下出走回数勝率連対率
平地 133 159 165 1660 2117 .063 .138
障害 4 3 7 124 138 .029 .051
137 162 172 1784 2255 .061 .133
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脚注

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