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取り直し(とりなおし)は、大相撲で行われる取組の再試合のことである。このシステムは大阪相撲において1925年(大正14年)6月場所に導入され、好評であったことから同年11月の東西連盟相撲を経て、東京相撲でも1926年(大正15年)1月場所から採用された。それ以前は、「引分」か「預」か「無勝負」となっていた。また、状況に応じて「痛み分け」も適用されていた。
現行制度においては、行司が軍配を挙げた後の物言いの協議において同体(同時に土俵を割る・同時に手や胴体が着地した)と判定された場合、ただちに再試合を行う。同体となった取組で負傷するなどし、両方の力士が続行不可能なときは痛み分け、一方の力士が続行不可能となったときは、同様に痛み分けか、他方の力士の不戦勝となる。近年では十両の取組で、2005年5月場所7日目、琴春日-五城楼で五城楼が負傷し、取り直しを取れなくなったため琴春日の不戦勝となった。
取り直しの一番が再びもつれ、同体となった場合はどちらかの勝利が決まるまで何度でも取り直しとなる。1988年5月場所初日の前頭7枚目霧島-同8枚目水戸泉との対戦で、3回取り直しとなったことがある(4回目の勝負で水戸泉が勝利した)。
取り直しになった場合は行司が「ただいまの勝負、取り直しにござりまする~」と呼び上げる。呼出の呼び上げは行なわない。
水入りの大相撲になった際、それでも決着がつかないときに審判委員の協議の上二番後取り直しとなることがある。その取組の後に二番しか残っていないときは一番後取り直しとなる。結びの一番が取り直しとなった事例はない。
旭國-魁傑戦は結び前の一番だったため10分後に取り直した。
このとき、取り直しのあとも水が入り、勝負がつかないときには引分となる。
1974年9月場所11日目、前頭6枚目二子岳-同10枚目三重ノ海戦で水入りの上、二番後取り直しとなったが、決着がつかず引き分けとなった。この一番以降、50年以上引分は出ていない。
1939年1月場所11日目、前頭筆頭磐石-大関鏡岩の対戦は、二番後取り直しになったが、双方が棄権を申し出たために、双方不戦敗の扱いとなった。
幕下以下では取組が長引いた場合、水を入れず即座に二番後取り直しとなる。二番後取り直しで決着が着かない場合には審判委員の協議の上引分とするか再度二番後取り直しを行うか決める。
アマチュアの場合には競技開始後5分(女子・小中学生は3分)を経過して決着が着かない場合には競技を中止し直ちに取り直しとする。(日本相撲連盟審判規定17条)
現在の取り直しはその日のうちに行われ、それ以前の記録は残らないが、それ以前は星取表に引分または預りの記録をつけたあとで、その場所の別の日に再び対戦させたこともあった。その記憶があったため、1931年5月場所では8日目に大関能代潟と関脇天竜の対戦が水入り後の取り直しでも決着がつかなかったとき、10日目にそれぞれの取組とは別に再戦して結果的に天竜が勝ち、星取表には引分をつけずに8日目の天竜の勝ちとして成績をつけたことがあった。また、1943年5月場所13日目で前頭10枚目青葉山と同17枚目龍王山とが引分になったときも、〈敢闘精神不足〉という理由でいったんは出場停止になったあと、停止がとけた日に再戦させたことがある。このときは、どちらの取組も正規のものとして、星取表に掲載された。
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