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北朝鮮の市 ウィキペディアから
南浦特別市(ナムポ[1]/ナンポ[2]とくべつし/日本語読み:なんぽ[1])は、朝鮮民主主義人民共和国の西部にある都市。平壌の外港として重要な貿易港、工業都市である。市名は日本統治時代の旧名「鎮南浦」に由来する。1979年から2004年までは直轄市に位置付けられ、2004年以降は平安南道に属する「特級市」となったが、2010年から再度平安南道から分離されて特別市となった。
5区域2郡を管轄する。
李氏朝鮮時代までは小さな漁村に過ぎなかったが、1894年の日清戦争で日本軍の兵站基地となり、1897年開港し、鉄道も敷設されて急速に発展した。
1945年までは「鎮南浦」(ちんなんほ)と呼ばれ、平安南道に属した。1905年には統監府の地方官署である理事庁が置かれた。日本による韓国併合後の1913年には府制が施行され、鎮南浦府に位置付けられた。
1979年12月、龍岡郡と大安市を編入して直轄市に昇格し、平安南道から分離した(南浦直轄市)。
2004年1月9日、行政区画の再編が行われて南浦直轄市は廃止され、平安南道に編入された。中心部は南浦特級市となり、郊外の区域は南浦から切り離されて郡となった。「特級市」は道に属する行政区分であり、この名を持つ行政区分は同国初である。
2011年2月15日に韓国統一部は、「南浦特別市」への変更が行われたとの見解を発表した。
この節の出典[3]
日本統治時代から平壌の外港として朝鮮北部最大の貿易港であり、貿易額は釜山、仁川に次ぐ第3位だった。また精錬所[注釈 1]を始め、ガラス、造船、化学工業が発達し、漁業も盛んだった。現在はガラス、機械、有色金属類が中心となっている。
市内の工業団地には韓国統一教会系企業との合弁企業、平和自動車の工場があり、乗用車が生産されている[5]。
大同江の河口には「西海閘門(ソヘカンムン、さいかいこうもん)」と呼ばれる巨大な河口ダムが建設されている。ダム湖内部は淡水化され、堤防上には鉄道(西海閘門線)と道路が作られ対岸同士を結び、南浦港に入る大型船が通るための閘門も複数設置されている。堤防は治水と水運・交通のために建設されたもので、1980年代に朝鮮人民軍などを投入して大々的に工事が進められ、1986年に完成した。この巨大工事は金正日書記(当時)の指導の賜物とされ、朝鮮中央放送のテレビニュースのバックにもしばしば登場している。
平壌の海の玄関口として海運、河川航路、鉄道、道路が発達し、北朝鮮の海外貿易の中心である。戦前から南浦と大連を結ぶ航路が運行されており、現在も大連、天津を結ぶ国際貨物航路として継続されている[6]。
1998年に完工した青年英雄道路が南浦と平壌を繋いでいる。
南浦周辺には、新石器時代の巨石墓や高句麗時代の壁画古墳、山城が残る。
江西区域・龍岡郡の壁画古墳は、2004年に指定されたユネスコ世界遺産「高句麗古墳群」の一部を構成する。ユネスコの資料では以下の古墳が「南浦」(Nampho)地区に所在すると記載されており[7]、これに従って南浦市に所在すると記載されることがあるが、直轄市の解体により現在は市域外にある。
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